「違っている」ことの価値
「永沢さんはどんな作家が好きなんですか?」と僕は訊ねてみた。
「バルザック、ダンテ、ジョセフ・コンラッド、ディッケンズ」と彼は即座に答えた。
「あまり今日性のある作家とは言えないですね」
「だから読むのさ。他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥ずかしいことはしない」
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『ノルウェイの森』は言わずと知れた村上春樹の大ヒット小説。1300万部! だとか。日本語で書かれた小説が1300万部を超すことはもう二度とないでしょう。『ノルウェイの森』はビートルズの曲「Norwegian Wood」から付けられたタイトル。同曲の正しい意味は「ノルウェイ製の家具」であるという意見も、またここでは書きづらい別の意見もあり、ご関心ある方は、村上春樹『村上春樹 雑文集』(新潮社)をご覧ください。
閑話休題。「他人と同じものを読んでいては他人と同じ考えしかできなくなる」。よく指摘されるように、日本の教育では目立つことが必ずしも歓迎されません。なるべく個性的でないこと。センター試験が象徴的です。数十万人が同時に受ける試験では選択方式にならざるを得ないのですが、これでは本当の意味での才能を選択することは難しいでしょう。
ノーベル賞受賞者利根川進教授によれば、マサチューセッツ工科大学(MIT)でもSATとよばれる適正試験があるのですが、はるかに重要なのは小論文と個人面接だそうです。そして、「この話をすると、日本人からは『それでは主観的になるのでは』と聞かれる」のですが、その先が面白いです。「それで良い。MITは主観を大切にしている」のです。客観的な選択とは言い換えれば標準・常識に基づく選択に他なりませんから、とがった人が排除されてしまうことになります。
村上春樹の小説ではいたるところで差異化の重要性が説かれていますが、創作活動と同じく経営においても差異化は根幹をなすものです。