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2022.01.15

嵐の中、子供時代を生き直す2つの「個」として|イノベーターの妻たち

澤円氏夫人の造形作家・澤奈緒氏(連載「イノベーターの妻たち」 サムネイルデザイン=長谷川亮輔)


令和元年、「事務所借りた!」


結局、5年後の退職の動機は、他企業への転職でなく「独立」になったわけですが、それはけっこう突然でした。

ブラジルから帰国し、マイクロソフトの仕事に戻ってしばらくした令和元年初日に、彼が「事務所借りるから見に行ってくるわ」と言い出したのです。そしてなんと、その日のうちに「借りた!」と言って帰ってきた、それが2年前です。



実はその頃には、もう社外から依頼される、いまやっているような仕事が半分くらいになっていました。

そもそも転職こそしなかったものの、スタートアップ企業に関わったことで彼には、スタートアップ界隈にネットワークができていました。その頃は「ICC(Industry Co-Creation、経営者のためのコミュニティ型カンファレンス)」を始めとするスタートアップイベントで審査員を務めたりするようにもなったり、最初の本を上梓したりしていました。すでに本人としては、「なんでまだ社籍があるんだっけ」という感じにもなっていて、退職を決めたのだと思います。

その最初の自著出版のきっかけを作ってくれたのは、Tech総研の先輩だった馬場美由紀さんという編集者の方でした。

アーチストとしての私は、彼にパトロンにもなってもらっているので、ふつうなら彼に世話になっているなという「ありがたい感じ」になるべきかもしれません。しかし、そんなふうに、単に偶然とはいえ、わりあい大切な「きっかけ」を私がつくったということもあり、意外と互いに持ちつ持たれつなのかなと思いますね。

美術館では意味不明な状況に死んだ魚の目、そのくせプレゼンでネタに


「持ちつ持たれつ」については、ほかには彼が自分では行かないようなところに私が連れ回していることが、案外プラスになっているという自負はあります。

例えばフランスに旅行したとき、どうしても自分が行きたかった現代アートのギャラリーに彼を連れて行ったことがありました。

そこではかなり変わった作品が展示されていた。たとえば、椅子が天井からぶら下がっていて、1分ごとに「ガチャン」「ガチャン」と音がするだけの部屋とか、巨大なガラスパッケージの中に男性がただ座っている部屋とか。後者は実は、「卵を人体で温める」実験作品だったのですが、訪れた人々が一様にガラスを通してそれを無言でじっと見入っているんです。

彼はそんな奇妙な場所に連れて来られたことにとまどいを感じていて、「なんでこんな変なもんを見せるんだ」とだんだんひどく混乱し始めた。

現代アートは、見る人をある意味「煙に巻く」というか、「当たり前をぶち壊す」のも目的であり、それが存在意義のひとつですよね。その「人体と卵」だって、そんな馬鹿馬鹿しいことを大勢でじっと見ているという状況そのものを含め、「すべてを疑え」と問いを発しているわけです。

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まあ、芸術は美的感性に訴求するべきという「当たり前な文脈」を生きてきた彼が、そんな空間にぶち込まれて、どう反応すればいいのか? となったのも無理はありません。

でも、とりあえず「この不可解な状況を体験する」のが大事なんだよ、と彼に話しました。

その後にも、旅行に出かけたら、美術館の彼が好きなマティスなど伝統的な作品も楽しみながら、現代アートのフロアにも連れて行っています。
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文=石井節子 写真=曽川拓哉

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