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2022.01.15

嵐の中、子供時代を生き直す2つの「個」として|イノベーターの妻たち

澤円氏夫人の造形作家・澤奈緒氏(連載「イノベーターの妻たち」 サムネイルデザイン=長谷川亮輔)


初の個展のタイミング、返事は「保留」


あまりにも唐突だったのと、実はちょうどアーティストとして初めての個展が決まったタイミングでもあったので、そのときは返事を保留しました。

正直、その頃は、その個展の準備もあって本当に経済的に苦しかった。「もっと仕事しなきゃいけないし、少なくともいまの瞬間は結婚など考えられない。半月くらい待って」と言ったら、半月後に「個展のお金も全部出してあげるから」と言ってきて、「あっ、それなら結婚する」と返事しました(笑)。

結婚は1回はしてみたいと思ってはいたものの、周りに失敗しているカップルが少なくないことから、「元来、長く続くものではない」という先入観があった。でも、彼は8歳年上で、「8年間余分に生きてきて、あなたよりは人を見る目がある。信頼しなさい。結婚しちゃおう」と言われました。

私はADHD(注意欠陥多動性障害)ということもあって、いろいろ単純なことが、「記憶」とは別次元で「理解」に落ちてこないことがあるんです。マイクロソフトでも、上司からの指示を、自分の回路で組み換えて処理して、クライアント先には理解できないメールを送ったりしていました。

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だいたい、「MS」が「マイクロソフト」の略であることも、辞める直前までわからなかった。「なんですべての商品のパッケージに『MS』と印刷されてるんだろう、紛らわしいな」と思っていました(笑)。彼がマイクロソフトですごく評価されている「偉い人」だということも、結婚してしばらくしてから知ったくらいです。

「あるスタートアップに転職」のはずだった


彼が、高く評価されていたマイクロソフトを「卒業」して、独立するという決断についても、私は全然いいんじゃないかと思っていました。経済的には彼に頼っていたので、矛盾するようですが。

そもそも彼は、実際に退職する5年ぐらい前に、マイクロソフトを辞めて、あるスタートアップ企業に転職するはずだったのです。

実はその頃、そのスタートアップがまだ社員5人だった頃、私は知人の紹介でバイトに入っていました。前述の広告代理店の子会社を辞めてから、リクルートの「Tech総研」で仕事していたのですが、そのときの同僚のライター(通称「ピンク少佐」)の大学時代からの仲良しが、あるスタートアップ企業でCMOをしていた。

彼も私も結婚式の二次会でお金を使い果たしていたこともあり、ピンク少佐に「バイトしたい」と相談したところ、「あるスタートアップが人を募集している」と薦められたのです。

その後私がそのスタートアップ企業で働くうち、彼もなんとなく出入りするようになり、頼りにされるようになって。3年後くらいには彼に「人事で入社してほしい」というオファーがあり、彼もほぼ100%心を決めていた。

実は私は思春期をブラジルで過ごしたのですが、もう30年も帰っていなかった。それで彼が転職する前に、2人でブラジルへ行こうよということになりました。彼は貯まっていた有給を使って、ブラジルに2週間、帰りにラスベガスに寄って1週間、という3週間の旅をしたんです。

ところがこの旅で、彼には大きな心境の変化があった。

リオデジャネイロの40メートルもあるコルコバードのキリスト像を見て言葉をなくすくらい圧倒されたり、体内からの衝動に忠実で、いわゆる「生命の喜び」に対する素直さに溢れている人々の生き様に触れたり、みんなが陽気にあっけらかんと人生を楽しんでいる様子を見たりしていたら、なにか違う、と思うようになったのだと思います。

それで日本に帰ったときに「やっぱり転職するのは、やめる」と彼が言い出した。
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文=石井節子 写真=曽川拓哉

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