「私たちの世代が変えるしかない」11歳の環境活動家の覚悟

撮影=曽川拓哉


「私にとって1日のうちで一番多く時間を過ごすのが学校です。まずは身近な場所の代表でもある(前の)校長先生や担任の先生と、環境問題について話してみたいと思ったんです。パワーシフトや、当時の菅義偉首相が『2050年までに温室効果ガス排出ゼロにする』という宣言をしたこと、畜産が気候変動につながることなどを話しました。

しかし『それはあなたの個人的な意見ですね』と取り合ってくれなかったり、内容をまったく理解してくれなかったり、話がどんどん逸れていきました。わからないことはわからないと言ってもいいのに、子どもには負けたくないという感じでした」

green akari
撮影=曽川拓哉

それでも挫けずに、自ら志願して、クラスでは気候変動やヴィーガンの考え方をプレゼンテーションしたり、親友たちになぜいま環境問題について考えなければいけないのかを説明したりしたという。

しかし、それでもみなの反応は鈍かった。理解を示してくれるクラスメートもいるにはいたが、自分だけが熱くなっていることに気づき、周囲との温度差を感じたこともあるという。

またGreen Akariは、教育委員会や区役所も訪れた。そして、次のように尋ねたという。

「私の家ではパワーシフトをしています。お母さんから自然然電力に変えてもお金は変わらないし何もデメリットはないと聞いたので、『いま使っている電力を自然電力に変えることはできるのでしょうか?』と訊きに行きました。でもお金や時間がないという言い訳でシフトはできないと言うし、私が訊けば訊くほど、教育委員会や区役所の人たちは話を聞いてくれなくなってしまいました」と振り返る。

なかなか取り合ってもらえない状況に、Green Akariはもどかしさも感じていたが、ここでも彼女は諦めることはなかった。むしろそのときの悔しさが、彼女の確かな覚悟を形成したとも言える。

環境活動
撮影=曽川拓哉

「学校や教育委員会や区役所の人たちに、気候変動の対策について尋ねることって意味があるのかなあと思うようになりました。彼らが未来を守ってくれるという確信はもうありません。だから私たちの世代が意見を発していって、変えていかなきゃいけないと思ったのです」

 小泉環境相にも思い届けた


Green Akariが、このように行動を起こすことができたのはなぜなのか。彼女が語る。

 「私がアクションを起こせたのは、たまたまSNSを通じてジェイソンさんに出会って、地球環境に関する事実を知ったからです。でも、周囲の子たちと比べて特別なことをしているとは思いません。私はずっと下の兄弟が欲しいと思っていたのですが、5年前にやっと弟が生まれてきて、とても嬉しかった。その弟に幸せな未来や人生を送ってほしいし、私にもこれからの人生がある。対策が遅れて、未来が失われるようなことはしたくないんです」

1年半ほど前、彼女は小学5年生になり、さらに発信場所を広げて、環境問題への行動を呼びかけようと考え、2018年にグレタ・トゥーンベリが始めた「Fridays For Future」の日本版のメンバーに加わった。

多くのメンバーが大学生で構成されるなかで、Green Akariは最年少として活動に参加しているが、国会前で気候変動への対策を呼びかけたり、経済産業省前では自らマイクを取り、温室効果ガス削減目標の引き上げを訴えたりした。

また環境活動家である谷口たかひさ氏の講演会を主催して、彼女の意見に理解を示してくれる数少ない親友たちとその家族を招いたりしている。前述のジェイソン氏とのインスタライブや、ツイッターで菜食やヴィーガンや環境問題についての発信も始めた。

最近では当時の小泉進次郎環境相に、畜産がもたらす環境破壊やパワーシフトについて書いた手紙と、「お腹が空いたら食べてください」と直接大豆ミート(植物由来の材料で作った代替肉)の缶詰を手渡すこともした。

小泉元環境相
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文=露原直人 撮影=曽川拓哉

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