価格というのは需給のバランスで決まるから、その値段で買いたいという人がいれば、どんなに意味のないものにでも価格はついてしまう。17世紀のオランダで、チューリップの球根に途方もない値段がついたのをチューリップ・バブルと呼んだが、そういう現象である。
逆に、値段がつけられないものはpricelessではなく、価格がゼロであり、同時に価値もゼロと判断されるようになってしまった。例えば、GDP統計に家事労働は含まれていないが、これは家事労働に価値がないことを意味している訳ではない。でも下手をすると、今の世の中ではそれを価格で表せないから、価値もゼロだと言われかねない。
「価格から解放された価値」とは?
それでは、現代において価格から解放された自分にとっての価値とは具体的には何なのだろうか。それは、資本主義的な「カネ」と「時間」のロジックから解放された世界観の中にあるはずだ。自分が自分らしくいられる、自分の価値観と自分の人生がマッチしている、そうした時間の過ごし方を「贅沢」というのではないだろうか。
資本主義の大きな特徴は、現在のみならず、全ての未来を金銭換算した上で、複利という時間の概念を使って現在価値に引き戻してしまい、その結果、まだ起きていない未来まで含めて、全てのものに比較可能な価格をつけてしまうことである。我々現代人はその枠組みの中で汲々として、勝った負けただの儲かった損したなどと一喜一憂しているのであり、その様はあたかも回し車の中を必死で走る二十日ネズミのようである。
もしこの回し車から降りて自分の時間を、そして自分自身を取り戻すことができたら、それはどんなに贅沢な時間かと思わずにはいられないだろう。あるいは、そうしたゲームから一抜けした人、最初から参加していない人、自由に出たり入ったりできる人は、どこにいるのだろうか。
この連載では、ただ単に高いモノを買ったから、流行のものを手に入れたから贅沢だなどという話とは一線を画し、こうした「本当の贅沢」という視点から世の中を見直してみたいと思う。
堀内勉◎多摩大学社会的投資研究所教授。東京大学法学部卒業、ハーバード大学法律大学院修士課程修了。日本興業銀行(現みずほ銀行)、ゴールドマン・サックス証券を経て、2015年まで森ビル取締役専務執行役員兼最高財務責任者(CFO)。現在、ボルテックス100年企業戦略研究所所長、社会変革推進財団評議員、川村文化芸術振興財団理事、経済同友会幹事、書評サイト「HONZ」レビュアーなどを兼任。著書に『ファイナンスの哲学』(ダイヤモンド社)、『資本主義はどこに向かうのか』(編著、日本評論社)、『読書大全』(日経BP社)他。