当時の森社長は、文化が都市にとって必要不可欠な要素だということにどのデベロッパーよりも早く気づき、六本木ヒルズのキャッチフレーズである「文化都心」を具現化するものとして、アーツセンター設立という構想を早くから持っていた。森ビルの開発を見てもらえば分かるように、森社長というのは一切の妥協を許さない人で、アーツセンターにもそれだけの質の高さを求めていたので、とにかく当時の森ビルの周りには世界の超一流の人やモノが集ってきていた。
この連載では、そうした森ビルでの経験を通じて、またそうした場で出会った人々を通じて、更にはそれをベースにその後の人生において私が学んできた「本当の贅沢」について記してみたいと思う。
「わずかな自由時間に高級レストラン」は贅沢か?
その前にまず断っておくと、この連載では、かつて言われた「ヒルズ族」という言葉に象徴されるような意味での「贅沢」について語るつもりはない。あれは六本木という夜の街に突如として巨大な複合都市が出現したことで一部の人々が勘違いをしただけで、森ビルの真意は当然そのような「贅沢」にはない。
クリエイティブクラスの人たちが集い、働き、住み、学び、刺激し合い、共創し、新しい未来を築くための価値創造のプラットフォーム作りであり、ただ高いカネを払って高い酒を飲む、高い車を買う、都心の高層マンションに住んで夜な夜なパーティーをするというのとは意味が違うのである。
思うに、本当の贅沢とは自分の価値観に沿った生き方をすることではないだろうか。リゾート物件の宣伝などで、「贅沢な時間」というフレーズをよく聞くが、その何が贅沢なのだろうか。高いホテルに泊まって、成功者としての優越感に浸ることではないだろう。
私が森ビル入社前に外資系の証券会社で働いていた時、皆、一般のサラリーマンの数倍から数十倍の報酬をもらっていた。ちょうど株式公開の時期でもあったから、それも入れれば数百倍という人もいたかも知れない。でも、とにかく仕事が忙しいのでいつも時間に追われていて、人生を謳歌するというのには程遠く、本当に少ない自由時間を使って高級レストランに行く、スポーツカーを買う、高級マンションやIPO(株式公開)狙いのベンチャー企業に投資するというのが一般的なお金の使い方だったように思う。
働く原動力が「価値」ではなく「価格」だった頃
恐らく多くのインベストメントバンカーは、そうした生活をいつまでも続けるつもりはなく、とにかくある程度の資産を築いて逃げ切れるところまで必死に働こうという感じだったのではないだろうか。今で言うFIRE(Financial Independence, Retire Early)というものである。当時の友人たちも、その時のハードワークと蓄えがあるからこそ、今の暮らしがあるのだと分かった上で、あのような働き方は二度としたくないと思っているようだ。そこに良い意味での「贅沢」はなかったからだ。
資本主義というプラットフォームの上で欲望という名の電車を加速する原動力は、「価格」であって「価値」ではなかった。その昔、クレジットカードのコマーシャルでpriceless(値段がつけられないほど貴重な)というのを謳ったものがあったが、工業製品のように売買可能なものに価格がつくのは当然として、本来、家族や友情や心や人間関係に関わるものに価格はつかなかった。それが、マネーがどんどん人間の領域に侵食してきて、今ではありとあらゆるものに価格がつくようになった。