江森氏はパティシエを志してほどなくして、MOF(フランス国家最優秀職人章)職人のフランク・フレッソン氏に師事した。ロワールにあった彼の店では、シェフ自らマルシェや農家でかごいっぱいの果実を買って帰ってくるなど、農園との距離が近く、パティシエとしての一つの原風景になっている。
帰国後、「ベルグの4月」で5年、その後表参道の氷菓の店「グラシエル」でシェフを務めた。この間に、ジェラートやアイスケーキを一つの柱にした店を作りたいという、今の方向性が決まったわけである。ケーキに比べて、よりダイレクトに果実が原料になることから、頻繁に生産者のところに足を運ぶようになる。その流れで、産地のフルーツを盛り上げようというコンクールを行ったり、自治体と共同で製品を開発することになっていった。
アイスケーキ
3年シェフを務めたのち、冒頭で紹介したミラノのコンクールに専念したいという思いもあり、店舗に所属しないフリーに転身した。そうしたところ、それまでに付き合いのあった自治体から次々と声がかかり、レシピを提供したり製品化のアドバイスをするなど、特産のフルーツで産地を興そうという地方創生活動に深く関わるようになっていった。
「ありがたいことに、うちの果実を使ってコンクールに出てくれるならスポンサードすると自治体が申し出てくれたんです。コンクールはチームで行くので、交通費、宿泊費、移動費など含めて、400万円かかるのですが、マンゴーとレモンを使うことで宮崎市と愛媛市がそれらすべてサポートしてくれました。幸いにも優勝できたので、宮崎市も愛媛市も大喜び。両地とのつながりが一層強くなりました。メゾンジブレーをオープンしてからも、継続して仕事を続けています」
コンテストで優勝した後は、海外の講演や研修に呼ばれる機会も多かったという。カルピジャーニという世界一のジェラートマシーンのデモンストレーターにも選ばれ、イタリアでの勉強会にも積極的に参加した。
「イタリアもフランスも行きましたが、その2か国でも全然違うんですね。イタリアではフレッシュなフルーツからジェラートを作るのが常套ですが、フランスでは冷凍ピューレを使用する場合が多い。労働時間制限の問題もあるのだと思いますが、あ、どこどこのピューレの味ね、ってわかってしまうくらい。それに比べて、イタリアのものにはフルーツそのものの、目の醒めるような美味しさがありました。
日本もフランス流になっていましたから、自分で店をやるなら、イタリアの方向でいこうと。2017年に店を開いてからは、結果、より多くの生産者のところへ足を運ぶようになりました」
そうなると、生産者が、生産者を紹介してくれたり、自分のところの果実を食べてほしいと送ってきてくれたり、その輪がどんどん広がり、開店4年で200の生産者と付き合うにいたったのである。
加工販売で廃棄を減らす
自治体との取り組みで象徴的なものを挙げてみよう。宮崎県では日向夏が名産だが、生産したものがすべて生食用に出荷されるわけではなく規格外や行き場のない果実が相当量あり、それについての相談を受けた。
そこで江森氏は、自店でピューレに加工してジェラートにし、その後、宮崎のアンテナショップに流すことを提案。新宿駅から徒歩5分の好立地にショップがあることも幸いして、1日200本以上のジェラートが売れるようになった。
また、宮崎ホテルでは、生産したジェラートミックスで朝食にグラニータとして提供してもらう。こうして果実を加工販売することで、詰まった果実の出口を作ってやることができるのだ。年間にして5トン、10トンの流れができるといういのだから、産地の喜びは想像に難くない。