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2021.09.06 08:30

背中を追うならステップ・バイ・ステップで


実は西浦はもともとマスコミ志望だった。マスコミの入社試験は6月で、他業界と比べて遅い。そこで滑り止めとして銀行業界を受けて、富士銀行(現みずほ銀行)から内定をもらった。その後、マスコミを受けるつもりでいたものの、4月に父が入院。看病に追われて就活できなくなった。

成り行きでそのまま富士銀行に入行。しかし、銀行の仕事をやりながらも自分の好きなことに時間を割いたという。

「わりあい自由にやらせてもらっていました。小遣い稼ぎに、論文を書いては全銀協(全国銀行協会)やニッキン(金融専門誌)に送ったりしてね。1つ上にそういうことが好きな先輩がいて、よく2人で箱根にこもって書いてました」

銀行の保守的な風土に染まらなかった西浦にとって、傘下の不動産会社への転身は、“魚の水を得たるがごとし”だったろう。

「銀行は規制が強いから、新規で勝手なことはできないんです。一方、不動産業界は違法建築などをしないかぎり、わりと自由に新しいことができる。もっとも、当時、うちはつぶれそうな会社でしたからね。ワクワクするどころか、どうすればつぶれないのかと必死でした」

西浦が生き残りの条件として掲げたのは、財閥系大手3社の背中を追う不動産業界の4位になること。大手と同じことをやっていては永遠に差が縮まらない。まず「マンション」「大規模ビル」「海外」を捨てて、「駅近の中規模ビル」「銀座、渋谷、新宿、浅草」に集中した。大手との価格競争を避けるため、持ち込まれた物件を買うかどうかを2日以内に決めるスピード決裁も実現した。そのうえで、大手が手を出さない領域で新規事業を展開した。

こうした戦略が奏功して、15年前に非上場の中堅不動産会社のひとつに過ぎなかった同社は、現在、時価総額と経常利益で業界4位にのぼりつめた。まさに破竹の勢いだ。

もう大手の背中は見えたのか。自信にあふれた答えが返ってくるのかと思いきや、最後は銀行出身者らしい慎重さを見せた。

「大手の背中は簡単に見えませんよ。でも、それでいいんじゃないですか。無理にキャッチアップすると間違いが起きる。ステップ・バイ・ステップでやっていきます」


にしうら・さぶろう◎1948年、東京都生まれ。71年、早稲田大学第一政経学部卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)入行。目黒支店長や数寄屋橋支店長を歴任。みずほ銀行取締役副頭取を経て、2006年3月、日本橋興業(現ヒューリック)社長に就任。16年3月より現職。

文=村上 敬 写真=苅部太郎

この記事は 「Forbes JAPAN No.083 2021年7月号(2021/5/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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