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2021.07.02 07:30

「ミスビットコイン」藤本真衣が体感した暗号通貨10年の荒波

藤本真衣(撮影 Kevin Abosch)


元タカラジェンヌの母のもとに生まれ、幼少の頃から芸能活動をしていた藤本は、目立つことを躊躇しない。当時から海外の関係者との交流も多かった彼女は、自身で「ミスビットコイン」を名乗り始め、ブログやユーチューブで発信を始めた。
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名前の由来は、「長嶋茂雄がミスターベースボールなら、私はミスビットコインになろう」という、かなり突飛な思いつきだが、彼女と同じ関西ノリの母親は「面白いやん」と笑いながら応援してくれた。

その後、上京し小さな広告代理店を立ち上げてイベントの企画などを請け負いつつ、ビットコインの啓蒙活動を続けた。暗号通貨関連で得られる収入は、小さなミートアップを主催した際の数千円程度だった。

2014年には東京の取引所「マウントゴックス」から100億円以上のビットコインが消失する事件が発生し、暗号通貨に対するネガティブなイメージが強まった。しかし、それと同時に認知度も上昇し、テック業界の大手の参入も相次いだ。
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2015年には米国のコインベースが累計1億ドル以上を調達して米国最大規模の取引所として認知を拡大。日本でもリクルートやGMOが取引所「bitFlyer」に出資し、楽天も金融カンファレンスで「ビットコインの台頭」をテーマにした。


Getty Images

長年の努力が報われた瞬間


藤本にとって大きな転機となったのはその頃、大阪に拠点を置いていた取引所のZaif(2019年に廃業)から広報の仕事を依頼されたことだ。暗号通貨を支える基盤であるブロックチェーンをテーマにしたイベントの司会を頼まれることも増えた。「勉強が追いつかない」と思い、広告関連の仕事は断って、暗号通貨関連の仕事に注力することにした。

2016年の年末になると、ビットコインや暗号通貨というキーワードは、日本でも連日メディアを賑わせるようになり、取引所のテレビCMも始まった。ICO(イニシャル・コイン・オファリング)と呼ばれる、暗号通貨を用いた資金調達が注目を集めるようになり、藤本は連日、国内や海外のカンファレンスを飛び回るようになる。

次の大きな転機は2017年のある日、フェイスブックで届いたメッセージがきっかけだった。「当社は、暗号通貨のマイニング(採掘)事業への参入を検討しています。つきましては、一度打ち合わせをさせていただきたい」と、書かれた文面の送り主は、GMOインターネットの創業者の熊谷正寿だった。数日後に渋谷のGMO本社に向かうと、彼女が「ラスボスの部屋」と呼ぶ最上階の社長室に役員総出で迎えられた。

GMOはその当時、マイニングマシンの世界最大手である中国のビットメインから機器の購入を検討し、連絡をとったが、待てど暮らせど返事は来ない。翌年には評価額が140億ドル(約1.5兆円)に達したビットメインから見れば、日本の大手GMOも、アジアに無数にあるIT企業の一社に過ぎなかったのかもしれない。

しかし、創業者のジハン・ウー(Jihan Wu)と以前から面識があった藤本がメールを送るとすぐに返事が来て、打ち合わせの日取りが決まった。彼女は熊谷のプライベートジェットに乗り込んで北京に向かった。

「あの時は長年の努力がようやく報われた気がした」と、藤本は話す。自分ではプログラムが書けず、確固たるビジネスを立ち上げたわけでもない彼女について、業界の内部からは陰口も聞こえていた。しかし、彼女の一声で開かなかったドアが開いたのだ。
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取材・文=上田裕資

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