筆者の長谷川町蔵が選曲したプレイリストをお供に。
2020年12月にロック界のレジェンド、ポール・マッカートニーがニューアルバムをリリースした。前作から2年というベテラン・ミュージシャンとしては短い間隔でリリースされたことからもわかる通り、本作は偶然の産物だった。
もともと彼は2020年をコンサート・ツアーに費やすつもりで、6月にはグラストンベリー・フェスティバルでテイラー・スウィフトとの共演も予定されていた。しかし英国の田舎で休暇を過ごしていた年初に新型コロナが流行。すべての予定はキャンセルされ、ロックダウン生活を送らざるをえなくなった。
この予期せぬ期間、マッカートニーはそれまで完成させることができなかった曲を仕上げる作業に没頭。そのまま自宅で全楽器をひとりで演奏してアルバムを完成させてしまった。タイトルは『マッカートニーⅢ』と名付けられた。
これまで何十枚もアルバムを発表している彼が、「Ⅲ」と名付けたのはなぜか。実は彼は1970年に『マッカートニー』、1980年に『マッカートニーⅡ』という同様のコンセプトのアルバムを発表しているのだ。そのコンセプトとは、全曲の作詞、作曲、編曲、演奏をひとりで手がけていること、そして自宅で録音していることだ。
3枚の『マッカートニー』誕生秘話
3枚の『マッカートニー』を振り返ると、ポップミュージックにおける自宅録音の歴史が浮かび上がってくる。マッカートニーが1960年代に所属していたロックバンド、ビートルズの活動期間は、スタジオ・レコーディングが発展した時期でもあった。
デビュー当初の彼らのアルバムは2チャンネルのテープレコーダーで録音されていた。2チャンネルとは1本のテープに別々に2つのパートを録音するシステムで、演奏とヴォーカルを別々にレコーディングするとそれだけでテープが埋まってしまう。やがてスタジオには4チャンネルのテープレコーダーが導入されたが、それもドラム、その他の楽器、リードヴォーカル、コーラスと録音したらそれ以上の録音はできなかった。
こうした制限に対してビートルズは、ピンポン録音(2チャンネルを録音した段階で空いている1チャンネルに流し込んでチャンネルを節約する)や2台のレコーダーを同時に回すことで自分たちの音楽を複雑化していった。彼らの最高傑作とされる1967年作『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の音がくぐもって聴こえるのは、ピンポン録音を繰り返して音の劣化が起こっているからだ。そんな彼らも末期の『アビー・ロード』では8チャンネルレコーディングを行うように。
一方、4チャンネルのテープレコーダーは、ミュージシャンがデモテープ(デモストレーション・テープのこと。スタジオで正式に録音する際に、ほかのメンバーにどんな曲かを説明するために使われる)を作るために自宅で使われるようになった。ポール・マッカートニーもそのひとりで、曲のデッサンを大量に自宅録音していたという。