そんなとき、ビートルズの解散が決定的になったため、マッカートニーはこうしたデッサンをそのままソロアルバムとして発表することを決意する。それが『マッカートニー』だった。リリース当時に同作を聴いたファンは、未完成な楽曲と緩い演奏、録音クオリティの低さに失望したというが、それは当たり前。もともとデモテープだったのだから。
しかしデモテープの粗っぽさこそがカッコいいという認識は、当時先端を走っていたミュージシャンが共有していたものでもあった。ボブ・ディランとザ・バンドは1967年にウッドストックの民家の地下室で2トラックのテープレコーダーに150曲以上の楽曲を録音している。リアルタイムでは発売されなかったものの(1975年に『地下室』のタイトルでアルバム化)、密かに流出した音源はミュージシャンに強い影響を与えていた。
また同じ年にはブライアン・ウィルソン率いるビーチボーイズが、発売中止になった大作『スマイル』の代わりに『スマイリー・スマイル』を自宅録音している。極端に少ない楽器編成や意図的にラフな演奏は、ウィルソンのファンであるマッカートニーに影響を与えたはずだ。
進化する「自宅録音」の歴史
その一方でビートルズのライバル、ローリング・ストーンズは、1971年に一台の車に8チャンネルのレコーディング機材を積み込んだ「モービル・ユニット」を開発し、民家やホテルでのレコーディングを可能にした。ストーンズだけでなく、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルもこのシステムを使って名盤を録音している。「天国の階段」や「スモーク・オン・ザ・ウオーター」も広義の意味での自宅録音曲なのだ。
ブルックリンブリッジを車で渡るローリング・ストーンズ。モビール・ユニットは大型トレーラーを改造した車だ(Getty Images)
ストーンズは行きたい場所でレコーディングできるように機材を移動可能にしたわけだが、それとは逆に自宅にレコーディング機材を設置してスタジオ使用料を心配せずに作業に没頭するミュージシャンも現れはじめた。1980年にポール・マッカートニーがリリースした『マッカートニーⅡ』もこうした自宅システムでレコーディングされている。
当時、自分のバンド、ウィングスにマンネリを感じていたマッカートニーは、自宅でフライング・リザーズやクラフトワーク、イエロー・マジック・オーケストラといったニューウェイヴやテクノに刺激された楽曲を趣味で録音していた。しかしウイングスが解散したことで、彼はこうした音源を正式アルバムとして発表することを決意したのだ。『マッカートニー』とよく似た発売経緯である。
『マッカートニーⅡ』は、ファンの反応も『マッカートニー』とよく似ていた。リズムマシーンやシンセサイザーを全面的にフィーチャーした音楽性が、ファンの生理的反発を受けたのだ。『マッカートニー』と『マッカートニーⅡ』への正当な評価は、ローファイとテクノが市民権を得た1990年代を待たなければならなかった。