まっぷたつに分断された町を大きく変えた「居場所」

牧野百男市長

地域活性化のモデルとして、国内外からの視察が多い福井県鯖江市。実は市民が真っ二つに分断されて、非難中傷合戦が起きた時期がある。市はいかにして変わったのか、同市在住のオフィシャルコラムニスト、竹部美樹さんによるレポート。


2020年10月16日、福井県鯖江市役所の玄関で起きた光景は、知らない人が見たら「異様」に思えたかもしれません。市の職員と市民合わせて約500人が集まり、市長の退庁を見送りました。

「私たちにとって最高の市長様でした」とメッセージを書いた手作りののぼり旗を持った年配の男性たち。「鯖江の宝」「ありがとうございました」「感謝」と一文字ずつ書かれた装飾したうちわを持つ老若男女。これまでを振り返る替え歌をみんなで歌い、市民と職員で作る花道を歩く市長に向けて、「市長―!」「ありがとうございました!」と止むことなく声を上げ、市長が乗り込んだ車が見えなくなるまで手を振り続ける。4期16年務めた鯖江市の牧野百男市長が任期を終えた時の光景です。


市長の退庁を見送りに集まった市民

市長が「主役」となった光景ですが、これだけ惜しまれる理由は、実は市長が「主役」ではなかったからです。どういう意味か、説明しましょう。

今から16年前の2004年、市民は真っ二つに分かれ、激しい戦いを行っていました。福井市との合併を掲げる現職市長の賛成派と反対派に分かれ、お互いがビラなどを使って中傷合戦が起きたのです。さらに、合併問題は市長へのリコール運動に発展。その時、現職市長への対抗馬として出馬したのが牧野百男氏でした。

選挙でトップが牧野氏に変わりましたが、市長がどんなに素晴らしい施策を打ち出しても、行動する「人」がいなければ実施できません。牧野市長は変わった策を打ち出します。2010年、牧野百男氏は、市民がまちづくりの主役であり、行政はサポート役であることを明確にした「市民主役条例」を制定しました。

条例を遂行していくために実施した事業の1つに、「提案型市民主役事業化制度」があります。鯖江市の公共事業の全800事業のうち、市民が実施したほうがいいのではないかと思う事業、約100事業に予算を付けて市民に向けて公開。「私たちのもっているスキルや経験を活かした方がいい!」という事業に対して、市民団体やNPO、企業が、事業計画書を作って市に提案します。開始当初は17事業でしたが、2019年度は約50事業を市民が委託し実施しました。

例えば、市内をきれいにすることと地域づくりを目的とした「花によるまちづくりコンクール」。市が行っていたのですが、造園業を営む市民団体が企画提案し、実施しました。毎年徐々に応募団体が減っていた事業でしたが、参加する町内や幼稚園・保育園が増えていき、それまで以上にコミットして一生懸命に花壇を作るようになりました。常連組のノウハウを他の団体に伝える座談会を開催して、「つながり」「助け合い」など、毎年テーマを設定。初めての団体でも参加しやすくしたのです。

さらに、それまでのコンクールでは完成した花壇を評価していましたが、花壇を作る過程も重視。苦労した点や工夫点も提出してもらって、審査する側も市や花の専門家に加えて、区長会の方々にも参加してもらいました。その結果、参加意欲が高まり、現在この事業は完全民営化して区長会が運営をしています。

もともと市民活動が活発だった鯖江市ですが、市の事業をも担ってもらい、市民に市のことをより「自分事」としてもらう。こうして公共の担い手を育成したのです。

市民主役条例には、その他にも、まちづくりに携わる人を増やそうと地区単位で実施している「まちづくり応援団養成講座」があります。講座を受けた人たちが主体的に様々な取り組みを各地区で行うのです。
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文=竹部美樹

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