手紙では返信が遅くなったことを「なかなか手紙の返事がかけなくてすみません。1カ月に4通だけだとすごく困ります。そしてそれにわ(※輪)をかけてお母さんが心配症(極度の)で手紙をお母さんの分2通を使用すると、支援してくださってる方全員にはなかなかむずかしいのです」とあった。
すでに掲載された記事についての感想はなかったが「中日新聞に私のことが3回と3者協議のことが1回、記事になっているコピーをお母さんが送ってくれました。裁判がうまく行くといいのですが」とあり、読んでくれたことがわかった。手紙は「また質問に答えます」と書いてあり、送った質問とその答えが併記されていた。
1. 拘置所に来たA刑事は1人でしたか?
「1人で来ました。B刑事(※取り調べを受けたもう1人の刑事)などは来ていません」
2. A刑事が別件で調べたかったことは。
「別件では調べたいことがなく、私がきちんと罪状認否で認めるか、ためしにきたのだと思います」
3. 私にとってちょうばつは、やってもいない罪をみとめるほど苦しいものでしたか?
「ちょうばつは苦しいものですが、それよりもA刑事のことを当時は信頼していたので、A刑事の言うことはまちがいがないと思っていました」
4. ちょうばつは約束通りなくなりましたか。
「なくなっていません」
あらためて、ひどい話だと思った。懲罰を取り消すことを〝交換条件〟として「検事さんへの手紙」を書かせたこと自体、卑劣極まりないが、その手紙を書かせた揚げ句に約束したことすら守らずに引き揚げていったという。弱い立場の相手に、何をやっても構わない、という無神経さが感じられる。
調書の作文、現場検証の予行演習。次々と「手口」明らかに
この西山さんの2通目の手紙には、犯行手口についての私たちの疑問を解く〝捜査側の仕掛け〟も明かされていた。
5つ目の質問は、西山さんがTさんの死に際の様子を「口を大きく開けてハグハグさせて/目を大きく開け、瞳をギョロギョロさせていた」などと供述していることへの疑問だった。1審大津地裁判決(長井秀典裁判長)は「実際にその場にいた者しか語れない迫真性に富んでいる」などと無頓着に書いているが、Tさんはすでに脳死に近い植物状態。大脳が広範に壊死し、顔面神経が機能を失っている病状が司法解剖で判明しており、起こり得ない現象だった。西山さんの答えは思った通りだった。
「A刑事にゆうどう(※誘導)させられてA刑事が考えたストーリーを言ったままです。それを自分でだいたい苦しい息ができない時はこんなふうなのかなと思ったりもしました」
もう一つの質問は、さらに衝撃的だった。
西山さんがあたかも実行犯であるかのように現場検証で犯行状況を再現したビデオが撮影されていた。井戸謙一弁護団長も「最初に見たとき、あっと思った」というそのビデオの作成は、想像以上に手が込んでいた。
「 現場検証は何度もA刑事と予行えんしゅう(※演習)していますし、当日A刑事がついて2人で説明するとなっていますが、病院にとうちゃくしてからちがう刑事さんやったので、おこってやらないといったのですが、この時、検事がきていたので、きちんとしないと重い刑になると言われて、してしまいました」
逮捕後、メディアが西山さんを取材できたのはこれが初めてのこと。手紙という形ではあったが、警察によって仕組まれた手の込んだ〝仕掛け〟は一つ、また一つとその化けの皮がはがれていった。
連載:#供述弱者を知る
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