A刑事が懲罰の取り消しを交換条件にして「検事さんへ」の手紙を書かせていたというくだりには絶句した。A刑事は逮捕後、狭い密室の取調室で規律に反し、ハンバーガーやドーナツ、ジュースなどを差し入れては調書を自在に書いていたことが後に判明するが、人の弱みに付け込む悪質さの程度は、差し入れの比ではなかった。
繰り返し受けた「懲罰」 そんな弱みに付け込まれた
拘置所での「懲罰」とは、収監されている被疑者、被告人に対するペナルティで、規則を破ったり、収監中の素行に問題があったりすると、反省のため懲罰房に入れられる。
冤罪で自由を奪われた西山さんは精神的に極度に不安定な状態になりやすく、拘置所にいたころはそれがひどかった。大声を出したり暴れたりすることがたびたびあり、そのため繰り返し懲罰を受けていた。
狭い房に閉じ込められ身動きすることさえ制限される懲罰は、ADHD(注意欠如多動症)の西山さんにとってさらなる苦しみとなった。A刑事はそこを見抜き、懲罰への不安を口にした西山さんに「拘置所に掛け合って懲罰を免除してやる」などと持ち掛けたというのだ。苦しみから逃れたい一心の西山さんは、ただ言うがままに手紙を書かされてしまったのだろう。収監中の被疑者の弱みに付け込む卑劣な手法だった。
西山さんの返信には、こうも書いてあった。
「今となったらA刑事はなんのためにこんなことをしたのかわからないので直接聞きたいことです」
A刑事が、裁判で有罪に持ち込むために「否認しても本心ではない」と書かせたのは明白だ。しかし、西山さんは、相手の意図を読み取る能力に欠ける。特に〝悪意〟のあるたくらみを見抜くのが苦手なことが、手紙の文面から明らかだった。懲罰の苦しみから解放されたいのと、信頼するA刑事が自分に不利なことをするはずがないとの思いから、言われるがままに書いてしまったのだ。
一方で、手紙にはこうも書いてあった。
「Aさんが裁判で証言した時、私は『この人は私のことを利用したのだ』と思いました。調べをうけている時『巡査部長から警部補になるのが難しい』と言っていたのに、私をたいほできたことで出世したのです」
この事件を経て、A刑事は警部補、そして警部に昇進し、今では県内の警察署の刑事課長になっている。手紙の言葉は、A刑事を信用した揚げ句に無実の罪に陥れられ、出世のために利用されたことへの恨みを表しているようにも読めたが、そうではなかった。A刑事に対する思いを聞く質問に対して、西山さんはこう答えている。
「Aさんのことは、もうどうも思っていません。両親は許せないと言っていますが、私はうらみもしませんが、怒りをとおりすぎているのです」
これを見て「恨みもしていないって、どういうことだろう」と釈然としなかった。その疑問を高田記者に「同性としてどう思う?」と聞くと、高田記者は少し考えながら、こう話した。
「もしかすると、子どものような心の人なのかな、とも感じます。子どものころを思い出すと、怒りや悲しみの感情はそれなりにあったと思うんですが、人を恨む感情ってまだ育ってなかったような気がするんですよ。純真な感じがするし、そういうことかなと」
精神医学や児童心理学の専門家に聞けばまた別の答えになるのだろうが、この時は私も「なるほど、それなら分かる気がする」と思った。
西山さんが返信をくれたことで、さらにこちらから手紙を出すことになった。最初の手紙は投函から返信まで2カ月弱。2通目はもっとかかった。