コネリーはボンドを演じている間も降板したあとも、まずまずの作品から一級品まで(「王になろうとした男」「ロビンとマリアン」「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」「ザ・ロック」「マイ・ハート、マイ・ラブ」「小説家を見つけたら」など)数多くの映画に出演したが、彼をスターにしたジェームズ・ボンドという役柄は、ハリソン・フォードのハン・ソロやインディ・ジョーンズと同様、コネリーが映画界に残した遺産のひとつになった。
実は、私は今年の3月に007の26本すべてを見直した。「007映画ランキング」を作り、ダニエル・クレイグ主演の「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」の公開に合わせるつもりだった(当時、11月20日に公開延期が決まっていた)。残念ながらこのシリーズ25作目の公開は再延期され、いまのところ2021年4月2日に予定されている。
それはそれとして、ここでショーン・コネリーをポップカルチャーのアイコンにした7作品についてまとめてみた。今回はその後編。(前編はこちら)
「007 ゴールドフィンガー」(1964年)
世界興行収入1.249億ドル、製作費300万ドル「007 ゴールドフィンガー」(1964年)のロビーカード。左から、ゲルト・フレーベ、ショーン・コネリー。(Photo by LMPC via Getty Images)
ガイ・ハミルトン監督のこの作品は、007映画が「北北西に進路を取れ」の延長線上にあるそこそこのスーパーヒーローもの人気シリーズから、アクション映画の金字塔へと変わる分岐点になった。またそれ以前の作品とは明らかに違い、スパイ用の小道具やファンタジー的な要素があまり出てこない、ゆったりとした展開の冒険映画になっている。
多くの人の支持を集めるこの作品が私のお気に入りでないのは(それでも間違いなく三ツ星の007映画だとは思っている)、ほとんどの場面でコネリーが積極的な働きをしないためである。
何が起ころうとボンドが生き延びて成功するのは、おおむね幸運と偶然、それにどんぴしゃりのタイミングで悪役の忠実な右腕(オナー・ブラックマン演じるプッシー・ガロア)を誘惑できたことのおかげである。
それでも本作が実に楽しい映画であることに変わりはなく、その楽しさはアクション映画のさまざまな「お約束」(ゲルト・フレーベ演じる超人的な敵、ハロルド坂田演じる威勢のよい部下、タフな主演女優、突飛ではあるが理にかなった陰謀など)から生まれてくる。最初の75分間はほとんどボンドがゴールドフィンガーを挑発する話に終始するが、後半3分の1はスリルあふれるアクションと戦いが連続して興奮を誘う。
傲慢な作戦のせいで巻き添え被害が生じ、危うく6万の人命が失われそうになるストーリーだが、この作品が007映画を一流の映画シリーズに押し上げたことは間違いない。ボンド・シリーズはどれも、筋立て、スケール、広がりという点で前作とは少しずつ変わっていくことを多くのファンに保証した作品でもある。皮肉なことに、ハミルトン監督の次の3作(「ダイヤモンドは永遠に」「死ぬのは奴らだ」「黄金銃を持つ男」)は、どうひいき目に見てもシリーズの中では魅力に欠ける作品になった。