阿部博一氏(以下、阿部):人間性が素晴らしいですね。酒井さんは、日本代表として活躍されましたよね。サッカーで結果を残したことは、潔く気持ちを切り替えられたことと関係していますか。やり切ったという達成感を得ていたのかなと。
酒井:たしかに関係しています。小さい頃から日の丸を背負って世界で戦いたいという目標があって、それを達成できたという満足感はありました。
酒井潤氏
竹崎:阿部さんはいかがですか。
阿部:僕の場合、小さい頃から挫折も気持ちの切り替えもたくさん経験してきました。小学生のときは、地元のチームでは活躍できていたのに、柏レイソルのジュニアチームでは試合に出られなかったり。今思えば、そこでサッカーをやめていてもおかしくなかったと思います。
その後も高卒でプロになれず大学に進学したり、大学卒業後に入ったチームはJリーグではなく、当時九州リーグのチームだったり。学生時代から、親には「サッカーで食べていくのは大変」と言われていたので、常にサッカーとは別の道も意識していたように思います。
竹崎:学生時代からのプロセスが、挫折と隣り合わせで自然とピボットをしていく訓練になっていたんですね。
阿部:一方で、スイッチが切り替わったというのもあるんです。僕は戦力外通告を受けて引退しましたが、当時所属していたV・ファーレン長崎を去るとき、長崎から東京まで、5日間かけて青春18きっぷで帰りました。
各駅停車の電車に乗るのですが、その5日間に地方で暮らす人の営みを見て、「人生っていろいろあるな」と感じたんです。僕は25歳でクビになったけど、そういう奴もいれば、地方で頑張っている人もいる。色々な人がいて、色々な人生があるから一つに決めつけなくて良いんだよなと、気持ちが整理できましたね。
酒井:阿部さんは青春18きっぷでの体験がスイッチになっていて、私は海外での体験がスイッチになっている。外の世界を見ることがスイッチになったという点で、共通していますね。
竹崎:でも、僕からすると、それって自分の外側の話なんですね。お二人と同じことを見たり経験したりしている人はたくさんいるはずだけど、それを自分のスイッチにできる人って少ないと思うんです。なぜお二人はそれをスイッチにできたのでしょうか。
酒井:私の場合、父の家系が貧しかったので、小さい頃から苦労した話をよく聞いていました。だから、貧しい人たちは決して外側の人ではなかったし、そういう人たちを見ると感受性が高まるというのはあったかもしれません。
阿部:僕は感受性というよりも好奇心ですね。単純にいろんなことに興味があったし、いろんなものに挑戦してみたかった。
竹崎:幼少期の影響もあるんですね。お二人には、挫折したときには既に、俯瞰的・客観的に物事を捉える習慣がついていたという共通点もあるように思います。