なぜバイデン氏は犯罪被害者など、心に深い傷を負った人たちへの支援に力をいれてきたのか。それは、妻と娘を交通事故で失い、事故を生き延びた小さな子どもたちのシングルファーザーとなった体験を通して、心の痛みとそこからくるトラウマを彼自身いやというほど味わったからではないだろうか。
1972年、当時のパートナーのニリア氏とバイデン氏の間には3人子どもがいた。クリスマス前の買い物中、彼女が運転していた車が信号で止まり切れず、横から来たトラックと衝突した。車には、彼女と3歳と2歳の息子、0歳の娘が乗っていた。病院に着いた時、すでにニリアさんと娘の死亡が確認され、2人の息子たちは重症を負っていた。
事故の過失が妻にあるとわかった時、彼はどこにもぶつけられない怒りと、トラックの運転手に対する罪悪感と、突然失った家族への悲しみと、そして息子たちの介護との狭間で、生きることを諦めることも考えたという。
加害者側の家族としてのやるせなさ
今年の夏、日本での話になるが、独立行政法人自動車事故対策機構(NASVA)の本部で「生命(いのち)のメッセージ展」が開かれた。犯罪・事故・いじめ・医療過誤等、理不尽に命を奪われた犠牲者を主役とするアート展の主催者「特別非営利活動法人いのちのミュージアム」から借りてきたパネル展では、交通事故で命を奪われた人たちが紹介されていた。
犠牲者の等身大の人型パネルの胸元には、顔写真や家族からのメッセージが貼ってある。足元には、本人が生前履いていた靴が置いてあった。写真に写る犠牲者の笑顔から、残された家族のやるせない思いが痛いほど伝わってくる。
「生命(いのち)のメッセージ展」。交通事故で亡くなった人たちの等身大パネルと足元には靴が置かれている。Photo by Nobuko Oyabu
愛する家族を突然失った時、人はそのトラウマとどのように向き合い、どのように絶望から立ち上がるのだろうか。当然、人それぞれ起こったことに対する捉え方は違い、心の回復にかかる時間もその方法も違うけれど、そこからどう生きていくのかは、残された、または生き残った人たちに委ねられている。
バイデン氏も、重症を負った2人の息子たちを置いてこの世を去ることはできなかったという。幸い彼はその3年後に現在のパートナ―のジル氏と出会い、結婚を戸惑う彼の背中を、子どもたちが押したそうだ。悲しみと喜びがいつもそんな風に「背中合わせ」だったらと思う。
絶望の中にいながら、ポジティブに前を向いて歩ける人は少ないだろう。特に加害者側の家族としてのやるせなさを抱えたバイデン氏は、きれいごとでは済まされない怒りと悲しみと罪悪感を抱えてきたに違いない。
ただ、そんな体験によって理解した痛みがあるからこそ、犯罪被害者たちに寄りそうことが、彼にとって政治家であること以上に重要なことなのかもしれない。