石川:直感を言語化し、解決方法を設計してまた直感的に反応できるモノやサービスに戻していく。その点でまさにデザインは右脳と左脳の掛け合わせです。しかし日本では特に、デザインは感覚的なものだ、という風に捉えられがちでアートと同義で捉えられることも多いです。
山極:デザインの定義への理解が足りていないのかもしれないですね。例えば岡本太郎の「太陽の塔」ってあるでしょう。石川さんあの作品はアートだと思いますか。それともデザインだと思いますか。
石川:あの作品は1970年の万博のシンボルですよね。形式はアートだと思いますが、作品が担うシンボルとしての機能はデザインされたものだと思います。アートの形をしたデザインというところでしょうか。
山極:僕もあれはデザインだと思う。なぜかというと、かなりはっきりとした目的を持っているから。目的をもち、それを他の多くの人と共有しているかどうかが、アートとデザインの違いなのではないでしょうか。アートというのは作り手の頭の中のモヤモヤしたものを形にしたもので、必ずしも目的があるわけではない。つまり論理は不要なんです。
大切なのは「良い問い」
石川:モノやサービスによってどのようなインパクトをもたらしたのかを考える際に、デザインの世界ではよく「問い」を起点にします。問いを立てることで、デザインの目的を共有することができる。つまり対話が可能になります。
山極:私も大学院に入ってくる学生には必ず「良い問いを立てなさい」と言っています。目の前で起きている現象から常に問いを投げかけ続けるというのは研究者の役割。まず100も200もの問いを立て、その中から自分が答えるべき問い、つまり研究テーマを選び取っていきます。
石川:良い問いの基準というのはあるんですか。
山極:あまり簡単すぎては既に誰かが研究して答えを出しているでしょうし、大きすぎて答えられないような問いにしがみついていても仕方がない。その塩梅のグラデーションの中にオリジナルな問いがあると思っています。
石川:それはデザインの分野でも全く同じです。しかし企業に目を向けてみると、新規事業やイノベーションを掲げている人でさえ、良い問いを立てられているケースは稀なように思います。
山極:何故だかわかりますか?
石川:物事の本質や目的を考えるトレーニングが足りていないのではないでしょうか。
山極:はっきり言うと、自分が住んでいる世界から出られていないし、出たいとも思っていないんですよね。今の人って旅行もしないし、あまり本も読まないでしょう。
石川:物事に対して違和感を感じるセンサーも弱まっています。
山極:世の中の「普通」が今ドラスティックに変化しています。今日の普通が明日の普通ではなくなる世界。でも実は、なにが普通でなにがそうでないかが判断できるのって、一度外に出たことがある人なんですよね。それに気がつかないと、流れに流されるままになってしまう。