29歳で起業した私にとって、JAFCO時代に出会ったふたりの上司は、まさに仕事の基礎を築いてくれた存在でした。それもずいぶんと対照的なふたりです。
最初の上司は、おおらかで詳細な指示は一切ない。それでも物事の本質をズバリ見抜く人でした。どれが木の幹なのか枝葉なのか。何に注力し、何を捨てるべきなのか。その見極め方を叩きこまれ、今でも血肉となっています。
もうひとりは、米国シリコンバレー現地法人駐在時代の上司。彼は逆に「神は細部に宿る」と、徹底的にディテールを詰めていくタイプでした。米国VC大手のセコイア・キャピタルへのファンド出資という、ほとんど吟味不要と思われる案件にあたり稟議書を作成したところ、真っ赤になるまで一言一句修正されました。
当時は正直「勘弁して欲しい」とうんざりもしましたが、結果的にそのふたりの指導もあって、大局観を掴みながらも細部まで解像度高く見極める。その両方の視点を体得することができました。
1999年に日本に帰国しクレジットカード決済処理サービスのペイメント・ワンを設立しました。とにかくメンバー集めに苦労しました。共同創業者はいましたが、あとに続く10人がなかなか採用が出来なかった。
事業領域が金融ということもあり、業界に知見のあるプロフェッショナルを探そうと思うと、少なくとも金融機関の課長クラスになる。けれどもそういった人は当然、40代で家族もいて高い収入も得ているので、迎え入れる上で会社にとってかなりのコストになりました。
資金調達にも人材集めにも苦労し、当時はクラウドサービスなんてないから高額なサーバー代など固定費がどんどん出ていって赤字が拡大していきました。今ならもっとうまくやれたんじゃないか、と思ったりもします。
ただ、私たちが事業として選んだのはBtoB領域であり、今でいうフィンテックという複雑系ビジネス。百戦錬磨のプロフェッショナルやシニアなスペシャリストが必要だった。ですがだからこそ、なんとか戦えたんでしょう。ビジネス内容と固定費は相関性が高いのです。20代で起業するなら固定費が安くなるBtoC領域の方が有利でしょう。
100年に一度の変革期に何ができるか
スタートアップ投資は世の中の気配や流れをスピーディに察知し、先手必勝で意思決定することが勝ち筋だと思われるでしょう。もちろん先ほどお話しした通り、時代が移り変わり、次の変化への予兆が起こるとき、必ずと言っていいほど真っ先にその気配をキャッチするのは、30代以下の若者です。
素早くこれまでにない新しいビジネスを生み出す。そのクリエイティビティには大きな力と可能性があります。
ただ一方で、50年、100年単位で訪れる大きな変革期について考えなければなりません。コロナ禍はある意味その象徴的な出来事とも言えるでしょう。19世紀初頭にはコレラが、20世紀初頭にはスペイン風邪が流行しました。
同時期に起こった第一次世界大戦が災いし、軍隊を通じて世界中にパンデミックが広がった。その後、調停役だったアメリカ大統領も感染し調停が中途半端なものに終わったことも第二次世界大戦の遠因になった。その後は冷戦、と人類には周期的に疫病が襲いかかり、その都度社会構造を大きく変えてきたのです。
ですから今回の災禍は、一過性のものではありません。世界の景色は変わる。一つ言えるのは、社会や産業、経済そのものが「オンラインに移行していく」ということ。インターネット登場以来、少しずつ進んできたデジタルトランスフォーメーション(DX)は、コロナをきっかけにいっそう加速していくでしょう。
もはや、その文脈に乗ろうとしない企業や国家は生き残れない。世界で存在感を失うだけです。