──そのビジョンを持たれたきっかけをお聞かせください。
今思えば恵まれていた幼少期だったのですが、幼い頃はよく「なんで自分だけ」と思うことが多かったんです。
「なんでうちにはスーパーファミコンがないんだ」という小さなことから、「なんで先輩が自分のことだけ殴るのか」「なんで自分にはパスポートがないのか」といったことまで、自分の境遇に疑問を持っていました。
20代の前半頃までは、自分が生まれたときに配られたカードを恨んでいたのですが、ある時、気がづいたんです。「自分が生まれた時に悪さをしていないのだから、自分じゃなくて世の中が変わるべきだ」と。
自分のバックグラウンドや立場に負い目を感じている様々なマイノリティの方々は、日の目を見ない場所で生きていこうとすることが多いように思います。でも、それはとても悲しいことだと思っています。持って生まれた初期条件がなんであれ、誰もがやりたいことをやれる世界にしたいと思いました。
──そのように気づくことが出来た理由はなんだったのでしょうか?
私が「自己肯定感」を培うことが出来ていたからだと思います。
「自己肯定感」は主に2つの要素で構成されるものだと思っていて、1つめは「誰かからの愛情」です。ただし、血がつながっている人からの愛情かどうかはあまり関係がありません。自分が死んだ時に「この人は絶対に号泣する」と確信できる人が1人でもいれば、それだけでいいんです。これは産みの親と離れて暮らしている子どもたちを10年以上見てきた経験からも確信していることです。
2つめが「成功体験」です。何かうまく出来た経験、誰かに必要とされた経験があれば、自分が生きている理由を肯定できるようになります。
私の場合は幸いなことに母が極めて愛情深い人で、絶対に裏切らないという安心感がありました。
成功体験に関しては、1つは学生時代に取り組んだサッカーです。最後まで補欠だったのですが、それでも一生懸命練習していれば上達するし、他の人からも馬鹿にされなくなっていきました。自分でも「やればできる」「自分が変われば周りも変わる」と確信を持つことが出来た自己革新経験でした。
たとえ持って生まれた初期条件が悪くても、誰かに大切にされていて、何かうまく出来た経験さえあれば「自分がこの世の中にいてもいいんだ」と自己肯定感を持つことができると信じています。