石川:まさに、深澤さんのデザインされるプロダクトは、人と環境とモノにおけるとても絶妙なバランスを体現されていますよね。
無印良品の壁掛式CDプレーヤーであったり、±0の加湿器であったり、美しいフォルムを持ちながら、かといって存在を主張するわけでもなく、親しみやすさもあるので生活空間とすっと調和する「馴染む」デザインです。
路線が違う奇抜なことをやってみたくなったりしないのかな、という想像もするのですが、深澤さんはずっと「ふつう」の中に踏みとどまっていらっしゃる。
深澤:確かに、デザイナーという職業は、どうしても「ふつう」じゃないスペシャルなことを周りから求められることがあります。誰もやっていないことをしなくちゃいけないとか、そうあるべきだと思う人が多いから。
でも、人が心地よく感じる物事の条件は既に決まっていて、そのバランス自体は新しく作り出すことではないんです。その輪郭を炙り出すのが僕の仕事だと思っています。
「気づき」は「分析」よりも遥かにシャープ
石川:「ふつう」は日常の中に潜んでいる。そしてその日常も、コロナの影響で大きく変わっています。
深澤:ニューノーマルという言葉があちこちで聞かれるようになりました。僕の事務所でも、在宅ワークを取り入れたりして働き方を変えた。でも、人間らしく生きる上でそもそもどちらが本当に「ふつう」だったんだろうって思いませんか?
石川:確かに、コロナ前は当たり前だった満員電車での通勤だって、振り返れば相当に不自然なことですよね。
深澤:日常が変わったことで、今まで気づきにくかった違和感に気づきやすくなっているのが今の状況だと思います。あるいは、既に気がついていた人にとっては、今までいくら主張しても無視されていた違和感について、周りの人を説得しやすくなる機会でもある。
日本は特に、周囲との調和を乱すことに対して厳しい国だから、たとえそれが個人にとって不自然なことだとしても、続きがちなんですよね。
石川:たしかに深澤さんがおっしゃっている人間の感覚としての「ふつう」とは、別の軸での見えない規範が根強い気がします。心の底では、人間として自然であることを求めているにも関わらず、周りの目や情報がそれを阻害してしまっているのかもしれません。
深澤:カリフォルニアに住んでいたときはオンラインで仕事をするのが当たり前でしたし、日が傾いたら仕事は終わりでした。
イタリアでも、夕方5時にはもうお酒を飲んで一番いいトワイライトの時間を楽しみ、その分、朝はちゃんと起きて働いていました。一番心地よい働き方をすることが自分を良くしているということが分かっていて、その感覚に忠実に動くんですね。人間としてはこれが自然です。