石川:実は僕は、コロナ禍がある意味で社会のプロトタイピングになったのではないかと思っています。誰も明確な答えを持っていないので、状況を体で感じ、新しい生活のスタイルや働き方を作りながら考えている状態です。まさに実体験に基づいて。
深澤:自分の主観で「違和感」をとらえるきっかけになったのではないか、とは思います。「ふつう」と思い込んでしまっていたものを考え直し、自分なりの主観をもって「問い」を創るきっかけになっていたら、少しずつ社会も変わっていくだろうなと。答えがない今こそ、感じたように素直に動くというのが一番正しいのではないでしょうか。
石川:ブルース・リーの「考えるな、感じろ」の世界ですね。
深澤:環境を感じとったうえで「流される」ということは決して悪いことではないと思っています。
石川:そうやって環境と自分の境界を取り払ってしまうというのは、非常にアジア的な思想のように感じます。「人間」対「自然」のように様々なことを二項対立で捉える、西洋的なアプローチとは対照的です。そして人や自然との調和というのは、世界的に評価されている深澤さんのプロダクトデザインに貫かれている要素でもあります。
深澤:人間は自然物ですから、法律やシステムを作ろうとしても、「自然の摂理」みたいなものに対して同調していないとやっぱり破綻します。どこかで無理がないか、未来はどうなっていくのかということを、自然から学び取ることこそ、「デザイン」です。
人は「最新」なだけでは感動しない
石川:先ほどの刺身の話のように、人間の動物的な本能で自然といいと思ってしまう、ある種の「美しさ」のようなものがある。そのことを知っているかどうかで視点が変わりますよね。
深澤:「美学」という意味でいうと、意外と忘れがちなのが「タイミング」です。だからプロダクトでもアイデアでも、しかるべき時期が来た時にさらっと出せるように「溜め」ておくのです。誰も見ていないところで、黙々と筋肉を蓄えておくイメージです。
石川:確かに今は考える隙も感じる間もなく、発信だけが先行していて、それでよしとされることが多いような気がします。
深澤:でもそういうものにあまり人は感動しないでしょう。
石川:その裏で「違和感」が、飲み込まれていってしまっている。
深澤:僕にも最先端の技術やビジネスの話が舞い込むことがありますが、技術を活かすということに気を取られてはいけない。どういう状況にあっても違和感に立ち返り、「技術が生きるのはこっちだけれど、使い手的に自然なのはこうだよね」と納得できる答えを出そうとしています。
石川:最新技術を使っていることが必ずしも使い手の感動につながるわけではないですよね。
深澤:どんなところに感動するのか、体験の本質を捉えることが大事なのです。
オンラインゲームのように、リアルなエンターテイメントやスポーツをバーチャル化するという話があるとします。でも、例えば「サッカー」と「オンラインサッカーゲーム」とでは、プレーヤーが体感する喜びや面白いと感じるポイントが違います。
フィールドでボールを蹴る興奮をゲーム画面で置き換えようとしても面白くない。だからそれらは別物だということを理解した上で、身体的に「違和感」がない形を見つけ出せればうまくいく。そこに無理があれば廃れていきます。