もともと今回は、イベントでの来訪のついでに、前回のコラムでも書いた、非常事態宣言で完全休業していた高山市の親しい女将の老舗旅館にも寄ってみようと考えていた。6月末に再オープンしたので、新たな「取組み」がどのように進んでいるのかも聞いてみたいと思っていた。
そして、何より女将本人に会い、以前、観光に関する会議で語ってくれた「ソーシャルデイスタンシングを守りながらの旅館業のおもてなしで、最後に重要だと考えるのは笑顔だと再認識した」という彼女の姿を実際に見たいと思っていたからだ。
高山市では、たまたま「Go Toキャンペーン」が開始されてはじめての休日だったこともあり、感染者数が増加しつつあるなかでも、街には他県ナンバーの車も多数走っていた。以前よりは少ないけれど、雨にもかかわらず、私のような仕事で立ち寄った人間とは明らかに異なる、楽しそうな観光客が、カップルや友達同士、家族連れなど比較的少人数のグループで、古い街並をそぞろ歩いていた。
いつもなら長い行列ができるテイクアウトの飛騨牛寿司やみたらし団子などの屋台などが営業していないこともあり、このあたりは逆にごちゃごちゃしていない、私が子どもの頃に訪れた、しっとりとした日々の暮らしが息づく高山の街並みを思い出させてくれた。
旅館に到着すると、マスクとフェイスシールドをつけた和装姿の女将が、いつもの笑顔よりも何倍もの輝く笑顔で、私を迎えてくれた。その笑顔になぜか涙が出そうな気持ちになった。従業員の女性たちからもマスクとフェイスシールドの向こうから、満面の笑顔が伝わってくる。
「申し訳ないけど、まず検温させてもらうね」と女将に声をかけられ、少し離れての体温測定、そして手消毒。車も、以前は宿の人が駐車場まで移動させてくれたのだが、感染予防のため駐車場に自分で入れることになっていた。
この宿では入口で靴を脱いでスリッパに履き替えるのだが、消毒済みのスリッパでも気になる人のために、スリッパにつけるソールの準備までもある。ロビーはできるだけシンプルに、清潔さと掃除のしやすさ、換気、空気清浄への徹底がさりげなく(でもしっかりと)されていた。
食事への工夫も見事だった。向き合う同士の間に置かれたアクリル板。テーブルにはあらかじめ壱の膳として、食前酒と先付けとともに、あらたに飛騨の春慶三重膳が置かれていた。できるだけ配膳での接触を減らす配慮だった。また、お料理に関しての丁寧な説明が、A3用紙目一杯に手書きで添えられていた。それは、けっして陳腐でなく、手抜きなど1ミリも感じさせずに安心・安全に提供する思いだとすぐにわかった。
アクリル板のつい立や料理の手書きの説明など、安心・安全なおもてなしの工夫が施されている。
「アクリル板がなかなか手配できなくて大変だったけどね」と笑う女将だったが、「とにかく気になったことはどんどん言ってほしいの」と感想を尋ねる真剣なまなざしは、おもてなしをモットーとする日本旅館の良さを感じさせつつ、新しい日常での「観光」のあるべき姿を模索し、奮闘するジャンヌ・ダルクのようだと思った。