そんななか、7月末に、私は自分がダイレクターをつとめるアートイベントに参加するため、岐阜県飛騨地方の高山市に出かけた。
アートイベントやワークショップなどの実施については、コロナ禍への対応で、参加人数を減らし、ソーシャルディスタンシングの確保はもちろん、会場の換気、参加者1人1人の体調管理、消毒の徹底など、さまざまな指針に則った予防策を実施することになっている。
高山市でのこのアートイベントも、本来ならば5月初頭に実施する予定だったものが、再度準備を整えるために延期となり、ようやく開催の運びとなったのだった。
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そのアートイベント開催予定日の1週間程前の夕方、私の携帯が鳴った。
「今日、Kさんの息子がPCR検査を受けた。万が一、陽性の場合、ご家族であるKさんも濃厚接触者として検査を受けることになり、陽性の場合は、一緒に仕事をしているわれわれ全員が、濃厚接触者候補となるので、それを想定しておいてください」と電話の向こうの声は告げた。
Kさんはフリーの演出家でありプロデューサーで、ここ数年は県の文化事業やアートイベントなどの仕事でご一緒しており、つい数日前も顔を合わせていたため、私も濃厚接触者となる可能性もあった。それは、あまりに突然のことだったので、私は、一瞬、言葉を失った。
正直言って、こんな身近に「感染」が迫っていたということに愕然とした。そして頭の中をめぐったのは、「もし私も濃厚接触者となった場合、1週間後のアートイベントはどうなるのだろう? 中止? 少なくとも私は参加できないかも」「同居している私の家族は?」「この数日間、仕事で会った人全員が同様のことになるの?」というさまざまな疑問だった。
ネガティヴな考えが頭の中をぐるぐるとめぐったが、まずはKさんの息子の結果次第なのだからということで、その思考を一旦ストップさせた。
翌朝、Kさんの息子は「陰性」だったという連絡が来た。その時は、思わず「よかった!」と大声で叫んでしまった。でも、たまたま私や私のまわりの人々は大丈夫だっただけで、どこかに存在する陽性者となった人の気持ちや、クラスター化もこんなことから起こっていくのだなと考えると、なんとも言いようのない「怖さ」を感じた。
その怖さは、暗い気持ちに直結する。これではいけないと思い直し、なんとか明るい気持ちになろうと、自分を奮い立たせて、高山市へ出かける準備をはじめた。