イベントで披露される場合は、創作エイサーが多いのですが、私たちがやろうとしているのは、中野で、伝統エイサーを行うことなのです。
──中野で伝統エイサーを?
よく不思議な顔をされます。場合によっては怒られたりもします(笑)。先日、池袋でイベントがあったのですが、そこに出演したときも、ちょっとした事件がありました。
終了後に、沖縄出身のお客さんが、私たちが沖縄から来ていると思ったのか、「君たちは沖縄のどこの青年団のエイサーかな?」と質問してきました。私が「中野です」と答えたところ、「なんだ、創作エイサーか」と言われてしまいました。そこで私が、「いや、伝統エイサーですよ」と言うと、そのお客さんは「はっ?」と怪訝な表情を露わにし、険悪な雰囲気になってしまいました。
彼らは、エイサーは沖縄の伝統舞踊だから、先祖への感謝やその地域の繁栄を祈る際の対象は沖縄であるはずという考えを持っていたのだと思います。だから、沖縄県外の団体が、伝統エイサーをやるという意味が理解できなかったのだと思います。ですが、私たちは中野を、沖縄と同じような感謝と祈りを捧げるコミュニティとして捉えています。
エイサーを踊る様子。沖縄の伝統舞踊だが、その祈りの対象は沖縄だけとは限らない。
──中野にコミュニティを感じるのはどのようなときでしょうか?
最初に感じたのは、「中野チャンプルーフェスタ」に参加したときです。このお祭りは参加団体や地域の商店街の方々などが全員で準備から片付けまでやります。みんなが主催者なのです。私たちも露店のテントの準備などをやりました。
そのなかで、みんなで支え合いながらこの文化圏、コミュニティがつくられていることを実感しました。また、エイサー団体にはいまや子供会ができるなど、沖縄からやってきた人たちが文化を伝えるだけでなく、中野のなかで文化の伝承が始まっています。
なので、自分たちを単なるエイサー団体ではなく、中野の沖縄文化に関わるコミュニティの構成員として考えています。だから、私たちが踊る伝統エイサーは、この中野のコミュニティに関わる人々のために祈りをささげているのです。
いわき市とエイサーの意外な繋がり
──伝統エイサーを磨き上げるなかで、意識していることや中心として取り組んでいることはありますか?
沖縄では、はるか昔からエイサーが踊られており、沖縄の伝統エイサーは完成されていると言ってもいいでしょう。ですが、中野のエイサーはまだまだ歴史が浅いです。だからこそ、本場である沖縄の伝統エイサーについての研究は欠かせません。また、エイサーの歴史や意味の学習にも取り組んでいます。そのために、私たちは定期的に福島県いわき市の寺院「菩提院」に合宿に行っています。
──エイサーの勉強で、いわき市ですか?
実は、エイサーの起源は、菩提院を開いた袋中上人が沖縄を訪れたときに広めた「踊り念仏」が起源だという説があり、現在でも関連したイベントがいわき市で開催されています。
ルーツを知ることによって、より深くエイサーの意義や人々が継承してきた想いを理解することができるのではないかと考えています。