本書はその追悼式の席で、「コーチの教えをシェアしなければすべてが失われてしまう」という危機感を持った人々によって執筆された。スティーブ・ジョブズと並び、コーチと最も親しく仕事をしてきたエリック・シュミットらグーグルの三人である。
彼らは『How Google Works 私たちの働き方とマネジメント』を書いたチームでもあり、その意味で本書はその続編として読むこともできる。実際、三人は本書を執筆するうちに、前作からはビジネス上の成功に欠かせない、ある重要な要素が抜け落ちていることに気づいたという。その要素こそ、ビル・キャンベルのコーチングのエッセンスである。
歴史上、空前のスケールの偉業を成した
『1兆ドルコーチ』というタイトルは、ビル・キャンベルがシリコンバレーで生み出した価値に敬意を表してつけられた。業界の多くのリーダーがどれだけコーチを頼りにしていたかを考えれば、このタイトルは誇張ではない。
彼がコーチングを始めた当時つぶれかかっていたアップルと、まだ小規模なスタートアップでしかなかったグーグルの時価総額の合計だけでも、いまでは1兆ドルを優に超える。シュミットは「ビルの貢献をすべて合わせると、コーチした企業の株主価値は2兆ドルにもなる。こんなことは歴史上、誰もしたことがない」と語る(「シリコンバレー・ビジネス・ジャーナル」2019年4月16日付)。
コーチがとくにグーグルとアップルに力を入れていた理由について、シュミットは、シリコンバレー全体への波及効果を考えてのことだったと語っている。また彼がこうしたコーチングを完全に無報酬で行っていたのは、報酬によって目が曇るのを避けたかったからだともいう。
シリコンバレーがこれだけ成長し、しかも政治とは無縁の健全な組織運営がおおむねできているのは、ビル・キャンベルの功績によるところが大きい。彼の死は、シリコンバレーの一時代に幕を下ろす意味を持っていたように思えてならない。
故人の教えを体系立ったビジネス理論のかたちにまとめるのは難しい。何より本人からのインプットはもう得られないし、教えが美化されることもあるし、遺族への配慮もあるだろう。だがコーチを受けた側の視点から学べることも多くある。本書では、彼のコーチングのエッセンスをシャワーのように浴びることで、誰もがビル・キャンベル的視点を身につけることができる。
シリコンバレーのリーダーたちは口をそろえて言っている。困難なとき、「ビルならどうするだろう?」と一歩下がって考えることにより、チーム全体の利益になる決断を下せるのだと。
この本はシリコンバレーからビル・キャンベルへのラブレターでもある。とくに3章からの数々の胸打たれるエピソードを読むと、彼にコーチを受けた人々の豊かな感受性に驚かされ、彼が大切にした「コーチャブルな資質」とは何だろうと考えさせられる。一人ひとりが悩みながら成長し、そこには必ずビル・キャンベルがいた。