そうして毎年初夏になると、訪れる人々が感嘆する庭園に、今年も最初の蛍が飛んだとの便りがホテルから届いた。5月18日の夜のことだったそうだ。
誰も予想していなかったコロナウィルスによる未曾有の状況の中で、この便りがどれほど心を和ませてくれたことか。春には桜が咲き、新緑が芽吹いたように、蛍も例年と変わりなく現れてくれた。私たちが外出の自粛を求められていても、自然界は自然の摂理のままに動いていることに安堵する。
嬉しいことに、ホテル椿山荘東京はこの蛍の飛翔を日々追い、その様子を動画と画像で配信している。一説によると、蛍の光には精神的な安らぎをもたらす効果があるとされ、古(いにしえ)の人々が闇の夜に儚い蛍の光によって慰められたように、先行きの見えない不安と自粛生活の疲れを、しばしこれらの動画と画像を通して癒してみてはいかがだろう。見頃は6月半ば頃までだ。
ホテル椿山荘東京が2020年に配信した庭園内を飛翔する蛍の動画
また、例年この季節になると、ホテル椿山荘東京は「ほたるの夕べ」を開催する。これは、藤田観光の創業者である小川栄一の「東京の子どもに蛍を見せたい」との想いから1954年に始まったもので、すでに65年以上も続く歴史あるイベントだ。
蛍の観賞の前に、親子三代で楽しめるようにと会場にはバラエティ豊かなディナーが用意され、家族が揃って過ごす幸せなひとときを提供している。家族イベントとして毎年楽しみにしている方たちも多くいることだろう。この催しも、5月末の緊急事態宣言の解除を受けて、6月から例年通りに開催されることが発表された。
蛍が飛翔するこの季節だけに並ぶ愛らしいシーズナルケーキ“蛍”。ホテル内の「セレクションズ」で6月5日からテイクアウトできる。
山縣有明による庭園と、戦後復活した椿山荘の森
ところで、戦後間も無くして子どもたちのためにと始まった「ほたるの夕べ」だが、前述の小川栄一の想いからすでに東京から蛍が消えつつあったことが窺える。そして、椿山荘の森のような庭園が、当時から東京のオアシスであったことも。ここで少し、この庭園の歴史を紐解いてみよう。
ホテル椿山荘東京の周辺は、今から700年も前より椿が自生する景勝の地として知られ、「つばきやま」と呼ばれていたそうだ。江戸期には歌川広重作「名所江戸百景」に、隣接する関口芭蕉庵(松尾芭蕉が4年ほど暮した)や神田上水とともに取り上げられている。その「つばきやま」を明治11年(1878年)、元勲の山縣有朋が私財を投じて購入。庭園と邸宅をつくり「椿山荘」と名付けた。政治家であり優れた文化人でもあった山縣は作庭にも造詣が深く、自ら指導した庭は今日に至るまで自然主義の名園として評価されている。
山縣有明が造園した当時からある庭園中央の幽翠池へと水が流れる五丈滝