大正7年(1918年)には、その庭をありのままの姿で残したいと願った山縣の意志を継ぎ、同じ長州出身の藤田財閥二代目、藤田平太郎が継承。しかし、昭和20年(1945年)の空襲で、山縣の記念館や一千坪の大邸宅、樹木の大半が灰燼に帰してしまった。
その後、今日に見る名園「椿山荘」を再生したのが、藤田興業の創業者、小川栄一だった。小川は「戦後の荒廃した東京に緑のオアシスを」との思想から、1万本に及ぶ樹木を移植してこの地に自然を取り戻したのである。そうして、かつてより名水として知られた清透な湧き水が流れる周辺には、再び蛍が飛翔し訪れる人々の目を喜ばせた。
東京に現存する三古塔の一つ、有形文化財の「椿山荘三重塔」。庭園には多くの文化財が点在する。
1万匹もの蛍が舞う庭園
ホテル椿山荘東京には、優れた名園を造り上げた山縣有明と、緑のオアシスをこの東京に残した小川栄一の情熱が受け継がれている。自然のあるがままの姿を緩やかな傾斜地に表現した庭園は今日まで見事に守られ、2000年からは、日本固有のゲンジボタルが産卵から飛翔まで生息できるよう、専門家による指導のもとでより良い環境づくりが行われている。
その一つとして、蛍の命綱である庭園に流れる秩父山系の湧き水の水質と水量の改善を行なっているが、その恩恵は蛍のみならず、庭園が育むあらゆる生命にも、もたらされていることだろう。一般的に、蛍の羽化率は1パーセントといわれるが、この庭園ではおおよそ80パーセントと推測されており、ホテル椿山荘東京の蛍の飼育にかける熱意に驚かされる。観賞期間中は約1万匹もの蛍が、ピーク時には日に500〜600匹が出現するのだから、その光景は想像を超える美しさとなる。
都心で、そうした奇跡のような光景を目にすることができるのも、ひとえに古来より親しまれた「つばきやま」に豊かな自然を残すことに努めた人々の志が、今に受け継がれているからこそだ。
自然に抱かれる都会の至宝
朝目覚めて、柔らかな陽光が差し込むガーデンビューの部屋から緑を眺める至福。都会にいることを忘れ、自然の懐に抱かれるようにして過ごすことができるこのホテルは、今日の東京における至宝といえるだろう。
窓から庭園を望むプライムスーペリア ガーデンビュー ルーム
広大な庭を散策し、草木の生命力溢れる息吹にただただ身を委ねるひとときは、この都会では代え難いものだ。庭園に点在する史跡を訪ねて、昔の面影を偲び、歴史に想いを馳せるのも楽しい。
散策の途中に、敷地内にあるそば処「無茶庵」で休息をとり、時間にゆとりがあれば、木立にひっそりと佇む「木春堂」や、雲錦池畔に建つ数寄屋造りの料亭「錦水」で、錦絵のように美しい自然を眺め自然の恵みを味わうのも優雅だろう。こうしたすべての時間が、今日では非日常的な心地よさをもたらし五感を解放する。
料亭「錦水」の個室。6月中は蛍籠をあしらったこの季節ならではの会席がいただける