ビジネス

2020.05.22 07:00

「余るマスク」に思う、需要の天井と90年代のG-Shockブーム

Casio G-Shock DW-5700-1JF (2001年発売/通称”スティングモデル”の復刻 日本仕様初代モデル スクリューバック搭載 筆者所有)


クアラルンプールの少年が教えてくれたG-Shock高値の「天井」


1997年の夏、私はマレーシアのクアラルンプールにいた。小規模店舗がたくさん入っている商業ビル(コンプレックス)に入って時計を物色していると、少年の店員から声をかけられた。
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Getty Images(People crowded at jalan Bukit Bintang)

「日本から来たんだろ?この時計、日本で高いんだよね、知ってるよ。いくらなら買う?」とショーケース内のG-Shockを指差した。彼の手元には、G-Shockが特集された日本の雑誌があった。

株式投資に興味を持ち始めていた私は「靴磨きの少年」の話を思い出した。1929年の大恐慌の直前、靴磨きの少年が株の話をしているのを聞いた投資家が、株価の天井は近いと察して難を逃れたという話だ。私は、その後、G-Shockの仕入れを減らすことにした。
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「アップル株を30万円弱で購入」した夏


1998年の夏、私は人生で初めての株式投資をすることにした。当時は東証外国部というのがあり、その中にアップル・コンピュータの株もあった。スマートフォンもiPodもない時代、アップルのコンピュータはマイクロソフトのWindowsを搭載したPCに押され、数パーセントのシェアしかなかった。潰れそうだと言われていた会社の株価は3〜4ドル前後をウロウロしていた。

私はコンピュータの師匠の指導の元、旧型のアップルのマシンを改造したりして使っていた。追放されていたSteve Jobsがアップルに戻ってきて最初に手掛けた製品となるiMacを見て、これはイケるかも知れないと思った。

東証の最小単位で買えるアップル株を30万円弱で購入した。そして、iMacが消費者に受け入れられたことが分かると株式市場は反応し、アップルの株価は上がっていった。30万円弱が50万円になったとき、私は売り時と判断して株を売ったのだった。

この文章を書いている直近(2020年5月15日)のアップルの株価は307ドルのようである。

文=曽根康司

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