テレビ・ラジオ・新聞・雑誌の旧メディアは、「プロとアマは異なる」とたかをくくり、一般人よりも自分たちの方が高いレベルにあると信じているかもしれない。しかし、今日、一般人である「ブロガー」が、顔の見えにくい新聞記者よりも影響力を誇ることも少なくない。もはや「たかがブログ」と軽視できる時代ではないのだ。
アメリカでは2005年、「ハフィントン・ポスト」が登場。ブログメディアでありながら、そのジャーナリスティックな切り口により、2012年にはピューリッツァー賞を得るなど、旧メディアを凌駕する影響力を持つ。「ハフポスト」はその後、国際展開を図り、日本でも朝日新聞と共同でサイトを運営するに至る。
近年は、旧メディアもブログ以上のクオリティを確実に担保できているとは言えない。ヤフーニュースやLINEニュースで流れてくる時事ニュースには、必ずしも質が高いとは言えない記事も含まれているが、これらの多くは新聞、スポーツ紙、雑誌などの記事を転載しているに過ぎない。
最近では「大御所タレントXがテレビ番組Yで、国会議員の新型コロナウイルスに対する政策に憤慨した」といった内容のように、テレビ番組を眺めて仕立てたような記事もしばしば目にするようになった。
これら旧メディアの「こたつ記事」は、オリジナリティ溢れる個人ブログを比較しても、メディアとしての気概も矜持も感じられない。
個人ブログの台頭。AIによる記事執筆も
それならば、個人ブログの方がよほど独自性があるといえるのではないだろうか。クリエイターと読者をつなぐサービス「note」が流行しているのも、個人ブログの独自性に高い価値が認められている証左であるように思われる。個人では、ファクトチェックに限界がある面、情報の信ぴょう性という点で問題をはらんでいるものの、AIなどの技術を用いたファクトチェックが可能になった将来、旧メディアはいったいどんな価値を提供すればいいのだろう。
かつて政治家の発言は旧メディアを通してこそ価値を有したが、今は米大統領がTwitterで自説を述べてしまう時代だ。私自身はこのような傾向を支持しないものの、トランプ大統領に「フェイクニュース」と揶揄される旧メディアの価値は、今後いったいどこに立脚すればよいのだろうか。トランプ曰く「フェイクニュース」代表格、CNNの元社員としても、解は見つけられていない。
世界最大の報道通信ネットワークである「AP通信」は、すでにAIによる英文記事の自動生成を行っており、こうした流れは各言語に広がっていくだろう。日本でもJX通信社というベンチャー企業が、AIに速報記事を生成させ、各新聞社に配信する事業をスタートさせている。コラム執筆者としては、自分の原稿がAIに取って代わられないものか、危機感すら抱く。