──リーダーシップを発揮する立場になるほど、自分を否定することが難しくなっていき、自分の正しさを証明するために、反省もなく新しいことに着手してしまう人も多いと思います。
東ティモールでも、自分が唯一無二の存在で、自分の意見が絶対であるとして、高い地位から他の人をフォローさせている人がいます。人の生活や人生は変化するし、複雑でそれぞれのタイミングもあるので、1人の考えが絶対で、すべての人を1人が引っ張っていけるということなどありえないと思っています。
世界を見回しても、長い間権力を手放そうとしない人は「リーダー」ではなく、「オーナー」になっています。オーナーが長年ポジションを譲り渡さず居座っていることによって、国や組織全体の進歩が遅くなっている事例をよく見ます。
リーダーに対する尊敬(リスペクト)と従順(オビディエンス)は似ているようで全く違うものです。それを履き違えると混乱が起こります。リスペクトがあるときは、周りからもリーダーに対して「間違っています」と伝えることができる。
でも、オビディエンスというのは、リーダーが間違ったことをやったとき、心のなかでは間違っていると思っていても「正しいです」と周囲が言ってしまう状況です。アジアやアフリカで独裁的な政治をしている国では、そういうケースが見受けられます。
オビディエンスを重視される社会においては、常に恐怖心が付きまといます。人々は進めと言われれば進む、飛べといえば飛ぶような行動しかできなくなっています。逆に、リスペクトが大切にされると、可能性や未来、繁栄や自由に包まれた社会が醸成されるのです。
──それはもしかしたら成熟した日本社会でも起きていることかもしれません。オビディエンスに頼らずに、リスペクトの価値を大切にするため、日々、心がけていることはありますか?
東ティモールでは、リーダーであるということで私の周りに若い人がたくさん集まってきてくれています。そういう人たちには、私が間違っていると感じたり、意見をしたいときに躊躇せずに言える環境をつくるようにしています。実際、それで声をあげてくれる若者たちはたくさんいます。若い人たちと私が違うのは、レベルの違いではなく、物事の進め方の違いだけであると思って、接しています。
もう1つ大切だと思うのは、人それぞれにいろいろな背景があり、状況が違うということを知り、理解することです。私たちの活動のなかで、遅刻を繰り返す若い女性がいました。私は、彼女が遅れて来ることを本人に指摘する前に、まず彼女の家を訪ねてみました。すると、彼女は、毎朝、家族のために離れた池に水を汲みに行ってから、私たちの活動に参加していることがわかりました。
彼女の自宅に行ってみて、彼女のことを知ろうと努力したことで初めてわかったことでした。それ以来 彼女が遅れてくることに対して、怒る必要がなくなりました。どんな家族で育ち、どんな思いを持って生きているか、個人個人の異なる背景を知ろうと努力することはとても大切だと思っています。
石油資源があと30年もすれば枯渇してしまうといわれる東ティモールで、従来の資本主義に代わる持続可能な発展モデルとして設立した「ルブロラ・グリーンヴィレッジ」。豊かな自然と地域のリソースを活かし、人と自然が共存している