インド工科大学でエンジニアリングを専攻したピチャイは、奨学金でスタンフォード大学に入学。父親が年収分に相当する渡航費を捻出し、アメリカで彼は初めてインターネットを体験した。「世界中の情報と平等にアクセスできたのが衝撃でした」と言う。その後、半導体企業やコンサルタントを経て、2004年にグーグルに入社した。
「インスピレーションを受けた」と彼が言う出来事がある。MITメディアラボの創設者、ニコラス・ネグロポンテ(未来を予測した著書『ビーイング・デジタル』で著名な学者)が05年に始めた「OLPC(One Laptop per Child)」というプロジェクトだ。
「これは開発途上国の子どもたちにノートパソコンを一人一台提供するもので、よりよい教育を受けることになるプロジェクトです」と、ピチャイはこの話になると楽しそうな表情になるのだが、聞き手である私は最初、当惑した。途上国への寄贈はよくある話ではないか。
しかし、ピチャイは「OLPCが大きな動機となり、インターネットを誰にも届けるためにクロームブック(グーグルのPC)や、ブラウザのクロームをオープンにするという考え方につながり、また、消費者がアンドロイドを入手しやすくするという発想になった」とまで言う。
彼のインスピレーションの謎を解く鍵は、『ラーニング・レボリューション MIT発世界を変える「100ドルPC」プロジェクト』という本にあった。OLPCは、ピチャイが12歳のときに電話で体験した「目的を超えた変化」そのものを、緻密かつ意図的に取り入れたものである。
まず、当時の市場価格の10分の1の子ども用PCを設計・開発し、低コストのデータ通信も構築。そして「変化」とは、教育そのものと子どもたちの人生を変えることだ。低所得世帯の児童は中退率が高い。知識を伝授する暗記型の授業では、将来的に利益に結びつくかわかりにくい。だから、学校をやめてモノ売りなどで家計を助けようとするが、当然、根本的な貧困の解決にはならない。
しかし、カンボジアの農村の子どもがインターネットを使い、存在すら知らなかったブラジルのサッカークラブのファンになり、関心事を世界規模で広げていく。知識を受け身で得るのではなく、関心の幅を広げて、自分で考え、「関連性」を見つけだす。
仲間と共有して創造し、行動を起こすこの教育手法を同書は「構築主義」と呼ぶ。つまり、「チャンスが生まれるんです」と、ピチャイは言う。彼自身も構築主義の体現者だろう。12歳のときの感動と向き合い、便利さを超えた「変化」の喜びをクロームに昇華させている。それはグーグル自体も同じだ。検索による情報へのアクセスという目的が、広告やメディア産業を一変させる予期せぬ変化を生み出したからだ。
そしてCEOに就任したスンダー・ピチャイは、世界へ更なる変化をもたらすAI時代の到来に向け、グーグルの「AIファースト企業」への転換を宣言する──。(後編へ続く)
スンダー・ピチャイ◎1972年、インド・チェンナイ生まれ。インド工科大学を卒業後、スタンフォード大学で修士号。シリコンバレーの半導体メーカーに勤務後、ウォートン校でMBAを取得。マッキンゼー&カンパニーでコンサルタントに。2004年、グーグルに入社して検索ツールバーの仕事からスタートした。読書家で、最近読んだ本に終末期医療を描いた『死すべき定め』(アトゥール・ガワンデ著)がある。家族は妻と一男一女。