「介護難民」「買い物難民」「結婚難民」「出産難民」「美容液難民」「英語難民」など。言語学の観点からは言論・表現の自由なのかもしれませんが、難民学の観点からは、そのような造語が気軽に使われていることに対し危機感を覚えます。
まず上に挙げたような造語を作る人・使う人は、本来の「難民」の意味を知らないケースが多そうにみえます。インターネットで検索すれば、「難民」の正式な定義は「1951年の難民の地位に関する条約」という国際条約(日本を含め世界で146ヵ国が締結済み)の第1条A(2)に以下の通り定められていることが分かります。
「1951年1月1日前に生じた事件の結果として、かつ、人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができない者またはそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを 望まない者」
これは「1967年の難民の地位に関する議定書」を経て少し改定されていますが、簡単に言えば、「民族的・宗教的・社会的属性や政治的意見などに基づく差別が理由となり、著しい人権侵害のおそれが母国であるため、既に他国に逃れた人」と言い換えることができます。
典型的な例を挙げれば、女児教育を訴えたために過激派から銃撃され、現在はオックスフォード大学で勉強しているノーベル平和賞受賞者のマララさん、政権に批判的な記事を投稿したため投獄されたがなんとかカナダに逃れられた中国人人権派ジャーナリスト、民族的・宗教的背景を理由として軍による暴行を受けたためバングラデシュに逃れたロヒンギャ人、金政権による正式な許可を得ずに北朝鮮を出国したため帰国したら投獄・拷問・強制労働に晒される脱北者、宗教的背景によりISIS兵士による性暴力を受けたためフランスに受け入れられたヤジディ族の子女、少し時代をさかのぼれば、単にツチ族あるいはフツ族だからという理由で大量殺戮されたルワンダやユーゴの人々。
これらの人々は、自らの責に帰すべきでない理由で投獄、拷問、襲撃、レイプなどといった著しい人権侵害を受けたり生死の境をさまよったりせざるを得なかった人々ばかりです。
少しスーパーが遠いとか、自分の肌にあった美容液が見つからないとか、英語ができないとか、そのような多少の不便さや贅沢な悩み、自分自身の努力でいかようにもしようのある状況とは全く比べ物にならないような極限的な状況を命からがら生き延びてきた人々ばかりです。