ちなみに英語圏で「難民(refugee)」の前に何か別の単語が付いた例としては、敢えて言えば「Climate refugees(環境難民)」や「War refugees(戦争難民)」が挙げられます。
しかし、単に気候変動だけの影響で母国を逃れた人(つまり、差別的な要素が全くなく母国にいる全員が一律均等に気候変動の悪影響を受けている状況)や、激しくなる戦禍のため流れ弾に当たりそうになったため母国を逃れた人(つまり、差別的な要素によって何者かによって狙われているという事情が無い場合)は「難民条約上の難民とは認められない」、というのが世界的な難民法学者の間の圧倒的多数派意見です。
そのような極めて限定的な特定の意味を持つ「難民」という概念に、全く関係のない単語を付けて造語を作り、使い続け、流布することで、本当の難民の人々が経て来た極限的体験を茶化すような効果まであるように感じられます。ここに私は危機感を覚えます。
もしかしたら、大多数の日本人には「難民」という概念を身近で実感する機会がまだ少ないのかもしれません。確かに、日本に自力で辿り着く難民や庇護申請者の数も年間最大で2万人程度と、世界的に比較すれば極めて少数です。
また、幸いなことに大量の日本人難民を流出させるような事態もまだ日本国内では起きていません。しかし、少し前には、東日本大震災における福島原子力発電所の事故の影響で他の地域に引っ越さざるを得なかった福島出身の人が国内で差別的な扱いを受けたり、外国出身の配偶者との間に生まれたお子さんの外見が若干他の日本人とは異なるという理由でいじめられたり、性暴力被害を訴えたことで逆に社会的に厳しく批判されたり、日本国内にも差別や人権侵害が日常的に起こっています。
そのような人たちの中には、残念ながら日本で暮らしていけず他国に逃れざるを得なかった方も実際にいます。著しい人権侵害を受けること自体が極限的経験ですが、その上祖国を離れ、愛する家族や友人と離れ離れにならないといけない境遇は、誰にとっても非常に辛く悲しいものです。
「〇〇難民」という造語はそのような人々の境遇と心境を茶化し、からかい、嘲笑する意味合いに捉えられる恐れがあります。まずは本来の「難民」の意味を知り、彼らの状況を想像することからはじめてみませんか。