キャリア・教育

2020.01.13 12:30

ウェブデザイナーから装幀家へ フリーランスを選択して見えたもの


フリーランスであり続けるということ

最近「山」に関する本、とりわけ山での遭難に関する本を何冊か読んだ。遭難にはいくつかパターンがあって、なかでもよくある原因としては「この道は間違っているかも」と思いつつルートを外れた道をずんずん進んでいって、取り返しがつかなくなってしまう、というものらしい。

怖いのは「間違っているかも」と感づいていたとしても、これまで培ってきた習性や惰性が働いて、そのまま進んでいくという人間の心理だ。これには、身につまされる思いがした。

フリーランスが進む道は、たいてい険しい。親切なガイドもいないし、社会の坩堝(るつぼ)に放り込まれたフリーランスは、己の非力を小ささをいやというほど痛感する。わずかな月明かりを頼りに、夜な夜なこの道は果たして正しいのだろうか、間違ってはいないのだろうか、と自らに問う場面もしょっちゅうだ。

正しいルートを歩んでいるのかどうか、いやそもそも正しいルートなんてないのかもしれないけれど、ともかく私はいまのところは遭難もせず(ビバークは何度もしているけども)、10年と少しの間、山頂に向けて歩き続けている。

その間、インターネットは益々普及し、メディアとしてテレビ・新聞などを始めとする従来のメディアを脅かすほどの影響力をもつようになった。また、世論を形成するようにもなった。現代に生きる人にとって存在感は増すばかりだ。

ただインターネットは多様性をもたらす、というようなことがその黎明期にはさかんに議論されていたような気もするが、現状では逆にインターネットが画一性を推し進めているような場面にも度々遭遇する。ネット上の膨大な言葉の波は、あっという間にひとつの巨大な渦になる。その姿には恐ろしさをおぼえるほどだ。

インターネットが失いつつある多様性というと早計、大げさかもしれないが、実はそのあたりを逆流的に本というスロウなメディアが補完して、ぐっとこらえることができるのではないか、そんな一筋の希望も見える。

本は著者と読者が静かに対話できる、「オフラインの」双方向メディアだと思っている。



連載:装幀・デザインの現場から見える風景
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文・画像=長井究衡

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