キャリア・教育

2020.01.13 12:30

ウェブデザイナーから装幀家へ フリーランスを選択して見えたもの


結局私は、あまり考えずに3番目の「フリーランス」を選んだ。これは「考えず」というのが大きなポイントで、よくよく「考えた」ら、きっとその選択はしなかったのではないか。

当時の私がフリーランスを選ぶというのは、それほどに無謀で滑稽な選択だったように思う。私にはたいした実績やスキルがあるわけでもなかったし、実際に装幀した本は10冊あるかないか。おまけに私は、フリーランスに必須であるはずの社交性や人脈といったものを、あいにく持ち合わせていない。

あるといったら根拠のない自信だけ……。まあ、その自信もすぐに打ち崩されるわけだけれど。

フリーランスの装幀家になるということ

ただし、フリーランスを選んだ自分なりの理由がまったくないわけではなかった。私はもともと、組織で働くというよりも、ひとりで何かをつくったり、動いたりするほうが好きなタイプの人間だ。

大学を卒業してバイトをしながら音楽に熱中していたのも、やっぱり社会と自分との距離を測りあぐねていたからだし、どっぷりとどこかに属して生きていくよりも、少し離れたところから世界を見つめるほうが、自分には合っているような気がしていた。「装幀」という仕事は、実はそういった生き方を可能にしてくれるような気がして、私の趣向に合っていると判断したからだ。



装幀は、すこし特殊な仕事と言えるかもしれない。1冊の本にかけられる予算は、映画やTVなどとは比較しようもないが、その分、制作にかかわる人数もずっと少ない。著者、編集者、ライター、あとは装幀と本文の文字組みをする人、場合によって写真家やイラストレータがかかわる程度。もちろん、編集者は社内でのもろもろの調整はしなければいけないし、印刷のクオリティも重要だ。最終的に製本された本は段ボールに詰められ、運ぶ人がいて、書店さんがあって……という流れはあるけれども、実際に制作にかかわる人数はぐっと少ない。

つまり、その分身軽だし、場合によっては制約も少ない(もっとも昨今は、なかなかそうはいかなくなっているけれども)。

とはいえ、本というプロダクトには、映画や音楽にも負けない、深くてずっしり重い大切なものがつまっている。私にとって、それが何よりも魅力的だった。

フリーの装幀家は、いってみれば、セッションミュージシャンのようなもので、なにか曲(本)をつくるとなればお声がかかって、パッと集まって、またパッと解散する。その繰り返しだ。いい演奏をすれば、次も声をかけてもらえるし、音程を外しっぱなしだったり、リズムを上手く刻めなかったりすると次は、ない(例外として、こっそりと音を外したりする場合なんかもあるけれど)。
次ページ > フリーの道は険しいのか?

文・画像=長井究衡

ForbesBrandVoice

人気記事