森監督と言えば、1998年に、オウム真理教の信者たちの生活を追ったドキュメンタリー『A』で鮮烈な映画監督デビューを果たし、ベルリン国際映画祭など海外の映画祭を中心に高く評価を得た。
『A』では、教団の内部にまでカメラを持ち込み、画一的に「絶対悪」として描かれるオウム真理教への報道とは異なる面を描き出した。かつてテレビのディレクターであった森が、テレビでは放送できなかった信者の姿を浮き彫りにしたのだ。
続編に、教団施設を追われ、日本各地に分散して活動していたオウム真理教の出家信者と地元住民との対立と融和を描く『A2』(2016年)がある。
20年前、『A』も上映拒否に
いま、「表現の自由」を巡って様々な議論が巻き起こっている。
愛知県で行われた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」は、中止と再開を経たが、その間、行政も含めて各方面に波紋が広がった。閉幕後も、他の映画の上映やアート作品の公共の場での展示が中止される案件が相次ぐ。
実は、森達也監督のデビュー作『A』もまた、当初は公共ホールでの上映拒否にあったという。およそ20年前のことだ。
森は、今回の「表現の不自由」問題をどう見ているのだろうか。また、情報過多のこの時代に、私たちはどのように情報と向き合えば良いのか。情報の海から、「真実」を得るためのヒントを訊く。
──「あいちトリエンナーレ」の表現の不自由展は、無数の電話攻撃「電凸」や脅迫を受け、現場の安全を考慮して中止されたということですが、森監督はどう捉えていますか。
まず大前提として、今回の件を政治権力による「検閲」と多くの人が言うけれど、僕は少し違和感があります。
もちろん(名古屋市長の)河村さんや(官房長官の)菅さんなどの記者会見における発言は、自分たちの権力を理解していない発言で論外。でもそれは今に始まったことじゃない。政治権力は、自分たちに都合の悪い表現については、隙あらば抑圧してきます。また言っているね、と無視すればいいだけの話です。
では、なぜいま、このような形で中止の動きが活性化しているのか。それは「自粛の領域」が広がっているからです。ならばなぜ、これが広がったのかを考えなければいけない。