社会的なテーマに真正面から向き合う国際芸術祭に。津田芸術監督が振り返るあいトリ

あいちトリエンナーレ2019芸術監督を務めた津田大介

10月14日に閉幕した3年に1度の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」。75日間の会期中には、「表現の不自由展・その後」を巡ってソフト・テロと言われる脅迫事件が発生し、中止と再開を経て、さまざまな議論を巻き起こした。文化庁の補助金全額不交付については、いまも撤回を求める声が上がっている。

一方で、「情の時代」と、世界共通の社会的なテーマに切り込む芸術祭ともなった。芸術監督を務めた津田大介が、今回のあいちトリエンナーレを総括する。


──開幕からわずか3日で「表現の不自由展・その後」が中止となりましたが、なぜそのような決断をされたのでしょうか。

大村知事や僕が記者会見で述べたとおり、あいちトリエンナーレを巡る運営・安全面の環境が大変厳しい状況に追い込まれたことが理由です。その意味で理由は単純なのですが、厳しい状況に追い込んだ背景は複合的でした。

ひとつは7月以降に表面化した日韓関係の急速な悪化。展覧会2日目に日本政府は半導体の輸出管理の閣議決定を行っています。そのなかで不自由展出展作品の「平和の少女像」が象徴的な意味合いを帯びてしまった部分はあります。

もうひとつは、政治家たちの発言です。河村たかし名古屋市長だけでなく、複数の国会議員や大阪の松井市長と吉村知事まで、多くの政治家がいち地方の芸術祭の企画内容の見直しについて具体的に言及することには驚きましたね。加えて、柴山文部科学大臣(当時)と菅官房長官が8月2日の会見で、補助金交付の見直しについてまで言及された。一般論という体裁は取っていましたが、内容への介入を露骨に示唆する発言で、「ここまでするのか」と思ったことを覚えています。

それこそ「表現の自由」がありますから、内容について政治家が批判する権利はありますが、彼らが「公金を使った展示として適切ではない」と権力が内容に介入することを肯定する論調を煽ったことは、端的に言って踏み越えた発言であると思います。露骨な「事前検閲」にもなりかねないような、行政の権力者による介入は、本来、もう少し抑制的にあるべきではないでしょうか。


あいちトリエンナーレ2019の展示風景「表現の不自由展・その後」(提供:あいちトリエンナーレ実行委員会事務局)

そのうえで、中止の最大の要因になったのは、開幕から約2週間前に京アニの放火事件があったことです。ガソリンを使ったテロとも言える放火事件を日本社会は防げないことが明らかになり、その衝撃が非常に大きかった。生々しい記憶があるという状況で、そういった犯行予告のような脅迫電話や抗議の電話、脅迫と抗議の間でグラデーションがあるような電話が多数あり、FAXやメールも届いた。本当にあのような凄惨な事件が起きるかもしれない──。現場の危機感、リアリティーは非常に大きなもので、事務局やスタッフが恐怖を感じていることは明らかでした。2日目の朝には運営側から「この状況下で75日間やることは耐えられない」という状況報告がされていました。

──表現の不自由展の中止は、権力や圧力に屈すると捉えることもできます。中止という決断は仕方なかったのですか。


当時の状況は、職員と観客の命が人質に取られていたようなものだと思っています。自分もジャーナリストの端くれですから、「表現の自由」は大事だと思っていますし、そのために命をかけてやろうとは思っていました。激しい論議や炎上もあるだろうと想定し、そのための準備もしていたのですが、直前に防ぐことのできない京アニ事件が起こってしまった。芸術祭という非常に大きな会場で、美術館と周辺だけを警備したとしても街中の会場で何か起こったらひとたまりもない。テロを完全に防ぐことは難しい。

であるならば、沸騰する「ネット世論」を冷ますために何ができるのか考えるしかなかったし、そのためにはある程度の時間が必要になると思っていました。

開幕当初、事務局内は、火の車でした。電凸(電話攻撃)によって、本来しなければならない施設の安全管理ができなくなり、その機能が麻痺させられました。職員皆で対応していましたが、大量の電話抗議への対応に慣れておらず、トラウマを抱える職員もいました。
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文・写真=督あかり

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