無名のシンガーソングライターである主人公が、自分だけが知っているビートルズの曲(「イエスタデイ」)を友人たちの前で披露すると、「素晴らしい、それは何という新曲」と皆が驚く。本人は、やがてこの世界からビートルズが消えたことに気づくのだが、覚えていた曲を1つ1つ思い出して、自分の曲として歌い始める。
すると、この演奏を耳にしたエド・シーラン(本人出演)がやってきて、自分の前座として歌わないかと、自らのロシア公演へと誘う。現地の聴衆の前で、「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」を歌う主人公。観客から圧倒的な喝采を浴びる彼に嫉妬したエドが、公演後の打ち上げで、お互い即興で曲をつくって競おうじゃないかと持ちかける。
(c)Universal Pictures
主人公が一座の前で「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」を歌うと、エドは「おれはサリエリだ」と主人公を天才モーツァルトに例えて、会場を去っていく。すると、エドの女性マネージャーが近寄ってきて、私と契約しようと申し出るのだった。
もう1つのストーリーライン
このように書くと、無名のアーティストがビートルズの曲を引っ提げて、ショービジネスの世界を駆け上がっていくという音楽映画を想像されると思うが、実は、この作品にはもうひとつのストリーラインがあり、むしろ観終わると、そちらのほうに爽やかなカタルシスを覚える構造になっている。
もちろん、冒頭から「イエスタデイ」「抱きしめたい」「レット・イット・ビー」「シー・ラヴズ・ユー」など、矢継ぎ早にビートルズのヒット曲が登場し、最後まで彼らの曲が、シーンシーンに合ったかたちで挿入されたり、主人公によって歌われたりする。
例えば、主人公がレコーディングのために青い空が広がるロサンゼルスに着くと「ヒア・カムズ・ザ・サン」が流れ、また彼が心理的に落ち込んでいるときには「ヘルプ!」が歌われるという具合だ。この適所にビートルズの曲が流れるのを観る(聴く)のも、この映画の楽しみ方かもしれない。
(c)Universal Pictures
そして、もうひとつのストーリーラインだが、これは、世界からビートルズが消えたらという卓抜な設定を使い、実に見事なラブロマンスを描いているところだ。