前代未聞の二刀流 平野歩夢が挑むアスリートの限界 #30UNDER30

スケートボード選手 平野歩夢

スケートボード選手 平野歩夢

2019年5月13日、新潟県村上市で行われた「スケートボード」の日本選手権。そこで、これまで「スノーボード」を主戦場として活躍してきた平野歩夢が初出場初優勝を果たした。

平野は14年ソチ、18年平昌とオリンピックで2大会連続の五輪銀メダルを獲得し、14年ソチ五輪では15歳74日のオリンピック・メダリストとしてギネス世界記録にも認定されている。そんなスノーボードのスペシャリストが別の競技を始めておよそ1年で日本の頂点に立ったことは、多くの人々を驚かせた。

Forbes JAPANは「世界を変える30歳未満」として日本を代表するビジョンや才能の持ち主を30人選ぶ名物企画、30 UNDER 30 JAPAN 2019のスポーツ部門に選出された、平野歩夢。



スケートボードが新種目に選ばれた20年に控える東京五輪は、平野が挑戦を決意したひとつの理由だ。しかし、それだけではない。もうひとつの理由は、いちアスリートの枠を超えたところにあった。



大怪我を機に人生を見つめる


「スノーボードは足が固定されているから全身を使って上に飛び上がるイメージですが、スケートボードは足元だけを器用に使いこなさなきゃない。スノーボードではない動きなんですよね。だから似ているようで全然違う。例えるなら、野球とサッカーくらい」と淡々と語る平野。

それほどまでに全く異なる競技に挑もうと思った契機は、17年3月に出場した全米オープンでの負傷だった。演技中着地に失敗し、左ひざ靱帯と肝臓を損傷。選手生命どころか、一歩間違えたら生死にも関わる大怪我を負った。

全治3ヶ月。リハビリ期間は約2ヶ月。それまでは海外で試合、日本では練習やコンディション調整とほとんど休み無しに繰り返していた平野にとっては、試練の期間だった。厳しいリハビリを経て、結果的に翌年の冬季オリンピックでは銀メダルを獲得。その時を振り返って「もちろん金メダルを目指していたけど、実際は滑るだけで一杯一杯でした」と話す。
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文=石原龍太郎 写真=伊藤 圭

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30 UNDER 30 2019

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