大学を出て新聞社に入り、記者をしていたときには、私自身がネット上で「炎上」した経験がある。在日コリアンに関するコラムや、朝鮮半島にルーツを持つ中国人准教授による北朝鮮情勢を含めて東北アジアの話題に触れる記事を書いたりしてきた。
そのうち、若者カルチャーを扱うページで、政治と切り離して北朝鮮の文化的な側面を楽しむ女性たちを取り上げた時のことだ。彼女たちは韓国などで手に入れてきた北朝鮮コスメを試したり、プロパガンダである北朝鮮ポップスの最前線を追ったりしていた。
その様子を取り上げると、インターネット上ではセンセーショナルに非難された。「北の機関紙かと思った」と言われたり、私を名指しして「死ね」とネットの掲示板に匿名で書き込まれたりした。ある程度の反応は想定していたものの、顔の見えない多くの人から謂れの無い非難の矢を向けられると、気持ち悪くなり、一時は恐怖も感じてしまった。
確かに政治的なプロパガンダと文化が密接につながる北朝鮮のカルチャーだが、彼の国でも生きる人たちがいる。彼、彼女らに思いを馳せることが悪いとは言えないだろう。また、そのカルチャーを追う女性たちは純粋に平和を願い、未来志向の関係構築を願っていた。
「政治家の禁じ手でしょう」
今回の「平和の少女像」の報道を受け、当時の私の思いと重なった。恩師である立命館大学コリア研究センター長の勝村誠教授は以下のように語る。勝村教授は東アジアの相互理解と平和構築を促す研究者だ。
まず「表現の自由に対する政治家の重大な介入という論点は言うまでもない」と前置きし、今回の事態は、大村愛知県知事の指摘した「憲法違反」にあたる可能性を示した。
政治外交レベルで日韓関係が悪化している中で、松井一郎大阪市長や河村名古屋市長が、「芸術作品までも否定しようとした言論に恐ろしさを感じました」と率直な思い吐露した。
「今回の両市長がしたのは、韓国、あるいはコリア的なトピックに対して批判をすることで、世論に支持されるだろうといった思惑が感じられます。韓国や日本には多くの人が暮らしていますが、個人の大切な価値観に思いを馳せることができない人が、大都市の長を務めていること自体が恐るべきことです。政治レベルの両国関係の悪化が日韓交流や国民世論に重大な影響を及ぼしている時に、その流れを一層加速するようなことは、政治家としてやってはならない禁じ手でしょう」
さらに近現代史において、日本は対外関係が悪化すると対外硬派が一気に勢いづき、その後の判断を過つという歴史が繰り返されてきたという。木戸孝允の征韓論、福沢諭吉の対清開戦論などに始まり、松岡洋右の国際連盟脱退、対米開戦をそれまで否定的だった文学者や知識人が歓迎したという歴史なども挙げた。
展示室から作品が撤去されていない現時点において、勝村教授は「1日も早く再公開することが、政治介入に抗する道だと思いますので、大村知事と津田大介氏に中止の判断を撤回することを求めています」と強く迫った。
題字ロゴ(木版):いちむらみさこ 2015年同展ポスターより