瀧井はこう言う。
「とにかく、今のアマゾンでは考えられないくらい労働集約的。ピッキングリストは輪ゴムで束ねてありましたよ。たしかローンチ初日の受注処理は、ようやく1000件行ったかな? というくらい。覚えているのは、ローンチ翌年の2月にバレンタインデーキャンペーンをやろうといって、注文された書籍を入れる箱に一緒にチョコレートを入れたり、アマゾンオリジナルのブックカバーを作って、手で折って本に巻いたりしたこと。さすがに途中から本に巻くのはやめて、一緒に箱に入れるだけになりましたけれど」
また、今でもアマゾンから届く段ボール箱に入っている「納品書」の日本語表示も、昔のワードプロセッサで打ち出した文字であるかのように読みにくかった。
「この状態はクリティカルで、ローンチできない」とシアトルからも言われるが、結局修正できないままローンチの日を迎えることになった。それどころか、ローンチ後しばらくたっても、納品書の顧客の氏名は日本語で記載されながら、ファーストネーム、セカンドネームの順にひっくり返ったままだった。
ローンチ当初の納品書(当時使っていた架空の社名「エメラルドドリームス」が宛名に使われている)。フォントも海外で見かける日本文字のごとくぎこちなく、行間も詰まっていて視認しにくい上に、著者の苗字と名前が逆順になっている。
立ち上げ準備にあたって、物流センターの選定と労働力の確保はとにかく大事だった。とりわけ労働力、すなわち「人材」の確保は大きな課題だったのである。瀧井は述懐する。
「物流の知識より、とにかくタフな人という条件で採用し、なんとか研修に送り込みました。人材といえばコールセンター作りも混乱しましたね。北海道に作ることが決まり、人材も確保したものの、今度は設備がローンチに間に合わなかった。北海道で採用したメンバーを東京に呼んで、しばらくは倉庫にコールセンターを設置。ウィークリーマンションを寮代わりに借りて住んでもらいました。そうしたコールセンターのスタッフのケアも我々の役目。部屋のトイレが壊れたとの連絡を受けて、社員が直しに行ったこともありましたね」
2001年2月刊行「別冊週刊ダイヤモンド ビットビジネス 大特集 アマゾン ジャパン ウェブサイトから物流まで完全解剖」に掲載された長谷川の記事
「また、当時はたとえばテレビで何かの書籍が紹介されると注文が殺到して、大阪屋がパンクしました。たとえば、ローンチの日に発売だった『プラトニックセックス』。その後の大きなタイトルは、なんといっても歴史的な人気だった『ハリーポッター』のシリーズでした。英国では、発売間近の新刊を乗せたトラックが襲われたこともありましたよね」
辛かったのは、在庫は倉庫にあるのに、発売日を絶対にフライングできなかったことだという。
「ボジョレー・ヌーボーと同じで『解禁日』がありましたからね。物流にとって本当に苦しいのは、在庫があるのに出せないこと。発売日までに予約注文が10数万冊、ということもありました。これを1日で出荷しなければならない。それも、自動化の仕組みがないからマニュアルでやった。あれが一番大変でした」