多文化共生主義の憂鬱

オランダの首都アムステルダムの街並み(Paulo Amorim / Getty Images)

欧米の多文化主義政策は、なぜ行き詰まってしまったのか。そして、「多文化共生社会2.0」時代に突入しようとしている日本は多文化先進国から何を学ぶべきなのか。第1回の記事では欧米の多文化共生政策の失敗を概観したが、今回はいち早く多文化主義政策を導入し、そして頓挫してしまった「自由の国」オランダの例を見てみよう。

ちなみに、多文化主義とは何を意味するのか。日本では「ゴミ出し」や近所付き合い、言語や教育などのイシューが個別に議論されても、政策としての一貫した定義はなされていない。海外の研究者の間でも定義はまちまちだが、私は「社会の文化・宗教の多様性を尊重し、マイノリティに自由と平等を保障しつつ、かれらの社会・経済統合を促す政策」とする。

移民問題が深刻化している欧州の代表例として、ドイツやフランスといった国がよく報じられるが、どこよりも寛容な多文化主義政策をとったにもかかわらず、大きく挫折している国はオランダではないかと思う。

オランダがいかに自由な国であるかを語るとき、我々は「飾り窓」に象徴される性の解放や麻薬の合法化を連想しがちである。しかし、この国の真のリベラルさは個人や集団が持つ多様な価値観や文化を尊重し平等に保護する理念と制度にあると言っていいだろう。

ちなみに、オランダが世界に誇る哲学者のスピノザも、迫害を逃れて亡命してきたハシディック系ユダヤ人「移民」の子供だった。

第二次大戦のホロコーストではポーランドに次いで多数の犠牲者を生んだオランダ。戦後は、宗教・文化・性的指向のマイノリティの権利や尊厳を重視し、高度にリベラルな社会政治制度づくりに注力した。国内では「多文化主義」という言葉は使わず、「オランダ・マイノリティ政策」と呼ばれている。

インドネシアや南米スリナムの旧植民地からの移住者や、モロッコやトルコからの出稼ぎ移民と家族を国家の一員として受け入れ、かれらの文化・宗教の自由を保護し、オランダ人と同等に公共サービスや福祉を与えてきた。

例えば、ヒンズー教やイスラム教系宗教学校など、マイノリティたちによる言語や文化の民族教育は国が全額補助した。国営放送のテレビやラジオの放送時間の20%は民族マイノリティ向けの番組に充てることが法律で義務づけられた。

さらに、民族コミュニティ内の「自治」を認め、国は一切干渉しないこととした。公の場でのヒジャブや「ブルキニ(イスラム系女性のための肌を露出しない水着)」が政教分離の原理に反するとして禁止した介入的なフランスとは対照的だ。

オランダの多文化主義政策がいかに進んでいるか。第1回の記事で紹介した「移民のための市民権指標」(ICRI)では、オランダはスウェーデンに次いで第2位である(2013年現在)。多文化政策のお手本と言われるカナダやニュージーランドよりもずっと評価が高いのだ。これは、オランダが宗教の自由に寛容で、マイノリティの権利を大きく認めているためである。

文=遠藤十亜希

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