日本に戻った田中は建築家の伊東豊雄や、スマイルズ代表取締役の遠山正道といくつかのプロジェクトをともにする中で、社会に届くアートのあり方を模索したいと考えるようになる。「作品を展覧会として提示するという形式に固執しなければ、アーティストには大きな可能性があるのではないか」と気が付いた。そうした中で大学以来に矢津と合流し、今回のプロジェクトに至ったという。
kumagusukuの内観(撮影:表恒匡)
一方の矢津は、無意識のうちに「アート × ワーク思考」を実践していた。2015年にオープンしたkumagusukuは“泊まれる美術館”がコンセプトのホステルで、年間を通じた展示をホステル内で行い、宿泊者は自由に作品を楽しむことができる。京都のギャラリーが次々と閉館する中で、彼は入場料を払ってアートを鑑賞する以外の方法を模索した結果、宿泊費用がアーティストに還元されるという仕組みを思いついたそうだ。
そんな矢津に「今やっていることはビジネス観点でも面白い」と気付かせてくれたのが岩崎だった。京都で同じように個性的なホテルを運営する岩崎は、偶然レセプションを行っていたkumagusukuを訪れ、矢津に出会った。
岩崎は「アーティストとビジネスマンが初対面で話すと、話が噛み合わなかったり、行き違いが起こったりすることが少なくない。そこには双方の異なる論理が存在しており、まずはその違いに気付きお互いを知ろうとすることで、ビジネスとアートの思考を重ね合わせることができる。僕は一般的にはビジネスサイドの人間だが、矢津さんと出会い一緒に仕事をする中で『これがアート思考なのか』と肌で実感することができた。僕は彼らとビジネスパーソンの翻訳係を務めたい」と今回のプロジェクト参画の経緯を語る。
ここ数年京都ではアーティストが自身の飲食店を経営したり、中小規模のプロジェクトにアーティストが参加したりなど、アートとビジネスの融合が新しい形で進んでいる。また、京都市立芸術大学の移転にともない、京都駅周辺へのアート作品の設置やプロジェクトが加速するなどの時代背景も相まって、「京都でいま、私塾をやることに意味がある」と矢津は考えた。
田中も「長く芸術教育に携わる中で、卒業後の居場所を作ってあげられないなどの責任を感じてきた。僕や矢津は10年くらいかけて自分のあるべき姿にたどり着いたが、アカデミックな教育の場とは異なる場所でこうした私塾を開催することで、教育にも“オルタナティブ”な選択肢を増やすことが大切だと考えた」という。
アートを超えるビジネスが生まれ始めている
木の温もりが感じられるシンプルなベッドルーム(撮影:表恒匡)
冒頭でも述べたように、ビジネスにおける「アート思考」に注目が集まる背景の一つに、ビジネス業界の閉塞感がある。これはアート業界も同じだと田中。「僕はずっとアートをやってきて、限界を感じてビジネスと向き合うようになった。アートとビジネス両方が歩み寄る中で、まだまだアーティストにはこうした感覚を持つ人が少ないと感じる。市場規模を考えても、ビジネス側がアート思考を理解する方が、インパクトが大きいと思うし、それはアーティストにも還元されるはず」。