なかでも、「シャンパーニュ騎士団(Ordre des Coteaux de Champagne)」の歴史は古く、発端は1656年のルイ14世の時代にまで遡る。現在では、フランス本部のほか、日本やイギリス、ベルギー、シンガポール等、世界各地に支部を持ち、普及・啓蒙活動をおこない、その活動に貢献した者にシュヴァリエ(騎士)やオフィシエ(将校)といった称号を授与している。
昨年11月末、9回目となる日本での叙任式典がホテルナゴヤキャッスルで開催され、筆者も「シャンパーニュ騎士団」のシュヴァリエに叙任された。
名古屋が会場となったのは、2017年に、シャンパーニュ地方の中心都市であるランス市と名古屋市が姉妹都市になったことを記念してだ。当日は「オフィシエ・ドヌール」(名誉オフィシエ)となった名古屋市長の河村たかし氏の姿も見えた。
シャンパーニュ地方からは、団長のブルーノ・パイヤール(Bruno Paillard)氏をはじめとした、18社のシャンパーニュ・メゾンが参加した。
叙任式を執り行うシャンパーニュ・メゾンの代表の方々
式典のあとはライトアップされた美しい名古屋城の夜景を背景にしたボールルームで、約400人もの出席者が、これらのメゾンが提供したプレスティージュ・シャンパーニュととともに華やかな晩餐会を楽しんだ。
今回は71名が新たなシュヴァリエに、12名が上位のオフィシエに叙任された。顔ぶれは、ワインの輸入や販売に携わる者、ソムリエ、ジャーナリスト、文化人や芸能関係者、シャンパーニュ愛好家など幅広い。これまでに、芸能人も多く叙任されている。
写真中央が、団長のブルーノ・パイヤール氏、右手に日本支部総領事のクリスチャン・ボラー氏
シュヴァリエになるためには、シャンパーニュを愛飲し普及に努めるのはもちろんのこと、大事な約束が、「シャンパーニュ(Champagne)」と呼べるワインは、フランスのシャンパーニュ地方で造られたものに限られるという認識を忘れないことだ。
あるワインが「シャンパーニュ」と呼ばれるためには、原産地の条件のほか、認められたブドウ品種から決められた製法で造られる必要がある。例えば、米カリフォルニア産など他地域の発泡性のワインは、原則「Champagne」とラベルに表記できず、「シャンパーニュ」とも呼べない。叙任式でも、シュヴァリエに叙任される前に皆でこの約束を復唱してから、乾杯の音頭がとられた。
シャンパーニュ地方は、伝統的なワイン産地であるが、その注目度や人気は衰えない。直近では、米ワイン専門メディアのワインエンスージアスト誌(Wine Enthusiast)のワインスター賞で、シャンパーニュの多様性や長年の成功、発展し続ける姿勢を称え、2018年の「ワイン・リージョン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。この受賞は、シャンパーニュ地方にとっても、上述の原産地規則に関連して、「シャンパーニュ」と呼べる唯一の産地としての認識を確認する上でも意味があるものだ。
日本は、シャンパーニュにとって世界第3位の輸出国だ。特に高価格帯のプレスティージュやロゼ・シャンパーニュの人気が目立ち、シャンパーニュ委員会のペラン事務局長も「ダイナミックな市場だ」と言う。
今回の式典に参加し、シャンパーニュの生産者と日本人との繋がりや、日本でシャンパーニュを愛飲し支える方たちの熱気と思いが十分に感じられた。
島 悠里の「ブドウ一粒に込められた思い~グローバル・ワイン講座」
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