障がいと健常の垣根をなくす── パラ選手たちの「個性を表現した卓球台」ができるまで

パラ選手たちの個性を表現した卓球台

パラ選手たちの個性を表現した卓球台

56年の時を経て、東京に再び戻ってくる2020年夏季オリンピック。東京オリンピックの報道は日々熱を帯びていく一方で、パラリンピックの話題は“まだ”あまり知られていない。

2019年1月30日、パラリンピックに開幕に向けて、日本肢体不自由者卓球協会が牽引する「PARA PINGPONG TABLE」の発表会が行われた。そこでお披露目されたのが、私たちがいままで見たことのない形の卓球台。片方のコートが台形だったり円形だったり、両コートの長さが均等でなかったりなど、いびつな形の卓球台たちだった。

この卓球台を中心となって手がけた人物が2人いる。ひとりは、博多で2020年に100周年を迎える額縁屋を営み、自身も障がい者の兄を持つ立石イオタ良二だ。

立石は元々卓球選手で、2016年のリオオリンピックでは日本代表チームのコーチとして帯同した経歴を持つ。現在は日本肢体不自由者卓球協会の広報としても活動をしている彼がパラ卓球に心血を注ぐきっかけになったのが、パラリンピックリオ大会で目にした代表選手の涙だった。

「オリンピック代表チームと違い、当時パラリンピック代表チームには専属と言える監督もコーチも存在しなかった。そんな状況下で、毎日一生懸命練習していた選手が、パラリンピックという大会の雰囲気にのまれて自分の力を出せずに敗北した試合のあと、涙を流して心底悔しがっていたんです。オリンピック選手と比べてまだまだ注目度が低くの強化費などが付きづらいなかで頑張っているパラ選手の努力が報われるよう、選手の強化だけでなく、大会や練習環境、協会自体の体制を整えなければいけないと考えていました」

立石はその後の広報活動の中で、2018年2月に原宿で「パラ卓球スペシャルライブ」と称し、ライブパフォーマンスや写真展などを開催。パラ卓球をアートとして魅せたそのイベントは、300人強の集客で成功に終わった。その会場に招待したプロデューサーを経由して、今回の卓球台のデザインを手がけることになる人物と出会う。

その人物とは、ロサンゼルス生活から6年ぶりに帰国した直後の浅井雅也だった。浅井はTBWAHAKUHODOで、Appleの「Shot on iPhone」広告やユニクロのグローバルキャンペーンなど大手企業の広告クリエイティブを手がけている人物。浅井は立石の熱心なプレゼンを聞いて心が動かされ、一緒に走り出すことに決めた。

パラスポーツの見方を変えるデザイン

一般企業の案件とは異なり、使える予算はわずか。小規模なその予算内でできることを考えた浅井は、立石ら協会に対して、プロモーション用の新しいロゴとグラフィックの提案をした。



「最初考えていたのは、スポーツブランドのようなイメージで、障がい者アスリートたちをかっこよく表現したものでした。それはいまパラ卓球のウェブサイトに使われているものですが、提案の過程で(立石)イオタさんの話を聞いたときに衝撃を受けて、他の表現方法もあるはずだと思うようになりました」

浅井が衝撃を受けたというのは、パラ卓球の「相手の障がいを知った上で、その弱点を攻めまくる」という、競技としての“えげつなさ”だった。

例えばパラリンピックの陸上競技では、障がい者が健常者のように不自由なく動けるよう、障がいの部分を補填する役割としての義足や義手などがある。しかしパラ卓球の場合は、右腕がない相手の場合はその右側を徹底して攻め立てる。車椅子の選手であれば、ネットから限りなく近い位置、つまり相手の手が届かない位置にボールを落とすように攻める戦略をとる。試合前には互いに相手をよく観察し、相手の障がいと弱点は何かを探り合うのだという。立石は、「弱点を突くことは選手同士のリスペクトであり、とてもクリーンでフェアな戦い方なんです」と話す。

「パラ卓球のことを詳しく知ってから、見ることが楽しくなりました。何も知らないとミスショットに見える返しでも、実は相手の障がいを突く必殺ショットだったり、いま勝負に出たな、とかがわかったりするとすごく面白い。これまでは健常者のように「ふつう」の卓球ができない障がい者が、パラリンピックに出るのだと思っていましたが、それを知ってから、パラ卓球は全く別のスポーツだと感じました。これを可視化することで、パラの世界が変わるきっかけになるのではないかと思ったんです」(浅井)

それから浅井と立石は、パラ選手たちへのインタビューを重ねた。四肢関節機能障がいを持ちサイドステップが踏めない選手や、車椅子移動で相手コートの奥行きが目視できない選手などに話を聞いているうちに、一人ひとりが感じる「卓球台の形」が異なることがわかった。それをビジュアルで表現すれば、パラ卓球選手たちの個性がひと目で分かり、試合の楽しみ方の幅も広がる。浅井はそう考え、今回の卓球台のデザインができあがったというわけだ。


ウェブサイトに載っているナショナルチームのメンバーたち。それぞれ異なる障がいを持つ選手たちが感じる卓球台の形が表現されている

「最初はウェブサイトやポスター等に使うグラフィックだけの予定でした。でもそのうち、本物の台も作りたくなってきた。健常者がこれを体験する機会ができれば、よりパラスポーツに対する理解が深まると思ったんです」(浅井)

そこから、卓球台の製造に着手する。元々立石が知り合いだった「三英」の社長に連絡をしたところ、快く快諾してくれたのだ。三英とは、製造脚部がX型になっていて流線型のフォルムが話題になった、リオオリンピックのオフィシャル卓球台を製造した企業である。天板は、オリンピックの卓球台で使われている「レジュブルー」に染めて限りなくオフィシャルに近い形にした。

「スポーツ文脈だけで終わらせるのはもったいない。せっかくならプロダクトとしても美しいものにしたかった。アートやファッションの文脈でも取り上げられて、ミラノサローネなどに出品できるようになればパラスポーツの見方が大きく変わるきっかけになる」と思った浅井は、TBWAHAKUHODOと同じ博報堂グループのスタートアップ・スタジオであるQUANTUM社にプロダクトデザインを依頼。側面から見える脚のデザインにもこだわった。
 


体験して初めて分かる、パラ選手の「凄さ」

染色工程や移動などで多くの苦労があったものの、すべてをなんとかクリアし実際に完成した変形台は、2018年11月に開催された「ParaFes(パラフェス)」というイベントで、約6000人の観客を目の前に初披露された。


パラフェスのステージ。吉村選手のコート(左)の左側が変形しているのは、左足にハンデを持つ岩渕選手のコート感覚を表している

「ただ卓球台を展示しても面白くない。どうせならオリンピアンとパラリンピアンの対戦を変形台でやってみてはどうだろう。障がいを可視化したサイドにオリンピアンが立つことで、オリンピアンとパラリンピアンの真剣勝負が成立するのではないか」という話から、パラフェスのステージ上で、リオオリンピック卓球男子団体で銀メダルを獲得した吉村真晴選手と、リオパラリンピック代表で先天性の障がいで左足膝下に器具を装着して戦う岩渕幸洋選手との対戦が実現したのだ。

「普通の条件で戦うと、両者の間にはかなりの実力差があります。しかし、このパラ卓球台で勝負することで条件がイーブンとなり、その結果どうなるのかとても楽しみでした」(立石)

結果は11対5で吉村選手の勝利に終わったが、試合後吉村選手は「本気で戦った。障がい者の凄さがわかり、健常、障がい関係なく、ひとりのアスリートとして岩渕選手をリスペクトしました」と話したという。

言葉だけでなく、自身の体験を持って障がい者をリスペクトする最初の機会を設けられたことに手応えを感じた立石と浅井らは、現時点で約900人に体験してもらう場を提供。いまは都内の小中学校や行政と協力し、この卓球台を実際に体験する機会をさらに増やそうとしている。


杉並区の小学校で行った体験会では、体験した人たちから障がい者選手に対する尊敬の声が多く聞こえた

浅井はこの卓球台について「今後は簡易版も制作できればと思っています。日本と海外では選手の体の作りも障がいの種類も異なるので、ゆくゆくは海外選手で形どった変形台も作ってみたいですね。これはパラ卓球協会(日本肢体不自由者卓球協会)のアイデアだけど、もし興味を持ってくださる方があればオープンソース的に世界中で使われるようにしていきたいです」と、今後の展望を話す。

立石は「障がいと健常の垣根を超えるスポーツとして魅せていきたい。パラ卓球の認知拡大によって、スポーツなんてできないと思い込んでいる障がい者の人たちが一歩を踏み出すきっかけにしていきたいと思っています」と真っ直ぐな目で語る。

これはパラ卓球を盛り上げるための第1弾であり、これからもいくつかの企画を仕込んでいる途中とのこと。これからパラ卓球は、私たちにどんな驚きときっかけを与えてくれるのだろうか。

文=石原龍太郎

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