しかし世界中のコンピューター・エンジニアが憧憬したのはスティーブ・ウォズニアックだった。世界初のパーソナルコンピューターであるApple IおよびApple IIを独力で設計し、「ウォズの魔法使い」と称えられた天才エンジニアである。
ジョブズは稀代のカリスマであり、セールスマンであり、イノベーターであった。世に新しいニーズを創出するジョブズがいたからこそ、ウォズニアックは世界最高のエンジニアになれた。一方で、コンピューターの革命家ウォズニアックがいたからこそ、ジョブズは世界一の経営者となったのだ。そのどちらも、間違いないだろう。
そんなウォズニアックが2018年12月5日、国内最大のコワーキングスペース企業fabbitが開催するイベント「fabbit Conference」に登壇。東京会場及び全国のサテライト会場で参加した2500人を超える日本のアントレプレナーに向けて、メッセージを送った。
アップル立ち上げの経緯からジョブズへの複雑な思い、そして日本へのメッセージ。「もう一人のスティーブ」と言われ続けた彼は何を感じながら、時代を駆け抜けたのか?
トラスト・キャピタル代表取締役社長の藤井ダニエル一範氏と、ボードウォーク・キャピタル代表取締役社長の那珂通雅氏がモデレーターとなり、スティーブ・ウォズニアックに行った公開インタビューをレポートする。
「紙にチップの回路を描いて、コンピューターを設計していた」
藤井:まず、ジョブズに会うまのでことを教えてください。
ウォズニアック:私は幼い頃からコンピュータが大好きで、いつかは自分自身のコンピュータをもちたいと夢見ていました。私が学生の頃、電子レンジくらいの大きさのミニコンピューターは家と同じくらいの値段だったんです。
それでも私は、いつかプログラムを書けるコンピュータを持ちたいと願っていました。家くらいの値段なら、アパートに住めばいいですから。
高校時代、私は紙の上でコンピュータをデザインしていました。チップを買えなかったので、紙にチップをどうやって配置するのか書いた。それを知り合いの会社の上層部が買ってくれて、スイッチやライトを組み立てていたんです。
そんなことをしているうちに、友人が「きっと趣味が合うよ」と紹介してくれたのがスティーブ・ジョブズです。彼にコンピューターの設計図を見せた後は仲良くなり、たくさんの会話をしました。将来のことや宗教、音楽やどこに住むべきか……。