そこで、私が考えたのが、「残念ながら、いまは、サムライは住んでいませんが」と断ったたうえで、「私がもし、あなたをご案内するとしたら、夕刻にお城頂上の天守閣まで行き、300メートル眼下の長良川の景色を見ながら、日がうっすらと暮れてゆくのを待ちましょう」という応答だった。
そして、こう続けた。「あなたが、いま見ている、闇の中に沈んだ長良川と、城下にひろがるこの景色は、800年ほど前のサムライたちが見ていたものとほぼ同じものです」と。
「Mind the GAP」ではなく「Enjoy the GAP」
国の歴史が浅いシンガポーリアン、なかでも知識階層の人々は「歴史的な物語」が好きだ。だから高学歴のインテリですら、日本の地方にはまだ「サムライが居るかも」という期待を抱いている。もちろん、彼らとて、東京や大阪にサムライがいるとは思っていない。初めて訪れる地方(田舎)だからこそ、もしかしたらという期待を抱くのだ。
シンガポールには、2008年から2012年あたりまで、毎年何度も通い、現地のトップリーダーや旅行会社の社長、スタッフの方々と対話しながら、この国を拠点にタイやマレーシア、インドネシアなどへのプロモーションも進めてきた。
あれだけの先進国で、エリートたちが国を豊かにするという明解な戦略を持ち、高度成長期の日本の成功と失敗も学び、欧米の長所を政策に取り入れ、果ては持続可能な開発の先進国になろうという未来予想図も描いていながらも、日本の「地方」への旅に期待するものは、「物語的な歴史体験」や「ポエジー」なのだ。
うすうす頭ではわかっていたけれども、「岐阜城にサムライが住んでいますか?」というシンプルな問いを聞いたとき、それまで私が思い描いていたシンガポーリアン像が、良い意味でガラガラと崩壊した。
いつもと違う時間を過ごし、自らの五感で体感し、現地の人々との対話によってそれらが増幅されるのが旅の魅力だ。その魅力を伝える手法は、最終的には日本に来てもらい、「体感」「実感」してもらうのがいちばんなのだが、世界の人々に、日本の地方にまで足を運んでもらうのは簡単なことではない。そのために何をどう伝え、その場所に関心を持ってもらうのか。
日々、知恵を絞るなかで、数字や頭のなかで考えるだけではなく、現実としてのさまざまなギャップを受け入れて、それらを利活用することの意味と意義は大きい。そして、それは多分、観光プロモーションだけではなく、諸産業を世界にプロモートする場面や、果ては相互理解としての世界平和にも役立つコミュニケーション手法でもあるのではと思う。
英語圏の地下鉄などで、しばしば「Mind the GAP(段差注意)」という表示を目にするが、私はその表示を見る度に、「Enjoy the GAPだね!」と思うのである。