株式会社
日本で初めての株式会社は、坂本龍馬が設立した亀山社中だと言われているが、これは株式会社に「類似した」と言うほうが正しい。株券も発行していなければ、それによる資金調達も行っていなかったのだから。現在のような株式会社形態を持った日本初の会社は、1873年に三井・小野組によって設立された「株式会社第一国立銀行」である。
日本銀行設立前には、紙幣の発行が認められており、金貨との交換が義務付けられていた。幕末から類似した組織は存在したが、本格的な株式会社形態をとった事業体は、前ページでも紹介した「小野田セメント」である。出資者に対して配当することを約束し、資金調達をするという方式は維新と共に取り入れられ、殖産興業政策を支えた。
証券取引所
日本初の証券取引所の設立は1878年。「株式取引条例」が制定されると、現在の東京証券取引所の前身となる「東京株式取引所」が誕生した。同年には大阪株式取引所も開設。初めは海外視察から戻った渋沢栄一が設立を試みるもうまくいかず、その数年後に、後に日本の鉄道王になる今村清之助や、幕末期に生糸や為替、洋銀に米相場で財を築いた実業家の田中平八らと共に設立に尽力した。
しかし当時株式会社は少なく、欧米列強のような会員制をとっていなかった頃から主に取り扱うのは国債であり、江戸時代からの米取引の手法を取り入れた先物取引が中心。最初に上場されたのは金禄公債や秩禄公債などで株式はなく、その後、第一国立銀行や東京株式取引所などが上場された。
銀行
伊藤博文が最初の国立銀行制度を提言したのは1871年で、翌年に条例が制定された。しかし当時、財政基盤が固まっていない政府は、資金調達を不換紙幣に頼らざるを得なかった。さらに西南戦争が勃発すると、不換政府紙幣や不換国立銀行紙幣が大量に発行され、激しいインフレに。同時に設立された国立銀行も運営が行き詰まった。
そこで1881年に大蔵卿に就任した松方正義が不換紙幣の整理をはかるために、金本位制の正貨兌換銀行券を発行する中央銀行を創設。銀行制度を整備し、通貨価値の安定を図り近代的信用制度を確立することが、対外的にも内政にも重要だと提議した。そこで1882年に日本銀行条例が制定され、同年の10月に日本銀行が業務を開始した。
大学
日本には古代から「大学」と称した学問所が存在したが、現在の学校制度のような形に整備されたのは、明治維新後のこと。江戸期にも優れた教育機関が存在したが、ほとんどが私塾であり、幕府直轄の学問所は昌平黌に開成学校、医学校だった。そこで明治政府は教育の近代化を図るために高等教育機関を大学、中等教育機関を中学、初等教育機関を小学とする方針を決定した。
国際化が進む中で、人材育成は急務だったのだ。1886年に交付された「帝国大学令」によって、1877年設立の東京大学を「帝国大学」と改名した。その後、京都、東北、九州、北海道、大阪、名古屋の順で「七帝大」が設立。学校制度の整備もまた、新国家成立のためのイノベーションだったのだ。
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