薩英戦争で西欧諸国の海軍火力と技術差を痛感した薩摩藩もその一つ。欧米の文明と技術を取り入れるために、若い藩士たちを幕府に知られないよう、密航でイギリス留学に送り出した。後にカリフォルニア州サンタローザにワイナリーを開き、実業家として成功した長澤鼎、本名磯永彦輔もその一人だ。
薩摩藩の洋学校である開成所に入学し英語を学び、成績優秀だった長澤はメンバーに選ばれ、13歳でイギリスに渡る。ほかの留学生はロンドン大学に入学したが、長澤は入学年齢に達しておらず、グラバー商会のトーマス・グラバーの実家からグラマー・スクールに2年間通った。
藩財政の悪化でほかの留学生は帰国するが、思想家トーマス・レイク・ハリスと出会った長澤は1867年に渡米。1871年にアメリカ在住宣言。ブドウ栽培とワイン醸造に従事しながら暮らし、やがて自らのワイナリーを開きワインビジネスで大いに成功した、知られざるイノベーターの一人だ。
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